HOPE 第一部
Episode1 平野隼人
事の発端は、高校へ入学した直後の事だった。
教室で授業を受けていると、突然来た担任が息を荒げて僕を廊下に呼び出した。
「平野君、落ち着いて聞いて。あなたの御両親が交通事故で亡くなったわ」
「は?」
突然の話に、そんな間の抜けた声を上げていた。
正直、信じる事が出来なかった。
その場では……。
病院で両親の亡骸を見た。
顔には一枚の白い布が掛けられていて、体は冷たくなっている。
それを見た瞬間、背筋に悪寒が走った。
「どうして、僕がこんな目に……」
涙を流しながら、そう連呼し続けた。
頬を伝う涙は、この冷え切った空間の中では、とても温かく感じられた。
その後は、親戚からの仕送りで自分の生活を維持している。
普通に生活をする分では、何も変わらない。
ただ、両親がいなくなっただけ。
そう考えれば、孤独な思いをせずに済む。
しかし、学校で接する友人同士の明るい空間には、馴染む事が出来なかった。
だから昼休みは校舎裏で過ごしている。
この場所こそ、僕が馴染む事の出来る唯一の空間だから。
♪
校舎裏に降り注ぐ真昼の明るい日射しは、青葉が茂る数本の木蓮を通して、綺麗な木漏れ日を作りだしていた。
木漏れ日の下に少女が一人、腰まで伸ばした黒い髪を、微かな風に靡かせ佇んでいる。
細い彼女の体を包む制服の袖やスカートから覗く肌が、とても白くて綺麗だった。
左の袖から覗く腕には、リストバンドが着けられている。
それがどこか印象的だ。
珍しいな。
こんな所に僕以外の誰かがいるなんて。
彼女に声を掛けてみる事にした。
「なあ、ちょっと」
声を掛けてみると、少女は肩をビクリとさせて、こちらを振り向いた。
「あ、えっと……」
突然、声を掛けたからだろうか。
困ったような素振りを見せる。
「えっと……」
よく見ると、目には涙が溜まっている。
「どうかしたのか?」
「何でも、ない」
それは、何かに怯えている様な震えた声だった。
何かあったのだろうか。
「よかったら、話してくれないか?」
彼女に対して、そんな事を言っていた。
僕は何をしているのだろう。
他人の事情に首を突っ込むなんて、僕らしくない。
しかし、この少女はどことなく自分に近い。
根拠はないけれど、そんな気がした。
「無理にとは言わないけど、話して楽になる事もあると思うから」
彼女は軽く頷いてくれた。
二人で木蓮に背を預け寄り掛かる。
僕の隣で、彼女の重い口が開いた。
「先月、私の母さんが亡くなったの」
「え?」
自分と同じ境遇の人間が、こんなに身近にいるとは思ってもみなかった。
彼女は少々驚く僕を余所に、話を続ける。
「父さんは……元々いなかったから、私は一人ぼっちになっちゃったんだ。だから、なんだかクラスの人達とも馴染む事が出来なくて、時々、ここに来るの。この場所って、不思議と凄く落ち着くから」
悲しそうな顔をしている。
それは、見てすぐに分かった。
僕だけじゃない。
こんな思いをしているのは、僕だけじゃなかったんだ。
「僕にも、両親がいないんだ。先月、交通事故で亡くなって」
その言葉を聞いて、彼女の表情が驚きに変わる。
「まあ、普通に生活をする分では、特に問題はないんだ。親戚からの仕送りだってあるし」
「大丈夫」、そう言いながら強がっていると、彼女は僕の右手に両手を添えて優しく握った。
そして、僕の目を見て微笑む。
「悲しい時は肌と肌で触れ合っていると、凄くホッとするんだよ」
恥ずかしくなって、少しだけ彼女から目を反らし、僕はボソボソと感謝の言葉を口にした。
「……ありがとう」
「母さんと父さんは、優しかったの?」
「ああ。凄く優しくて、僕の事を第一に考えてくれていた」
「そうなんだ」
気が付くと、目には僅かに涙が溜まっていた。
少しだけ姿勢を低くし、慌てて涙を拭う。
「ごめん、みっともないよな。男のくせに……」
「そんな事ないよ」
彼女は爪先立ちで、僕の頭を両腕で軽く抱きしめる。
「泣いても良いんだよ。誰だって、泣きたくなる事はあるから」
「うん、ありがとう」
暖かな腕に抱かれ、これでもかと言う位に泣いた。
そんな僕を見て、彼女は穏やかに微笑んでいる。
微笑む彼女の目には、先程まで流していた涙は見られなかった。
一生分は泣いた様な気がする。
そして、自分の泣き顔を見られていた。
そう思うと、先程の出来事が何だか恥ずかしくなってくる。
少しだけ彼女から目を反らして、僕は言った。
「ありがとう。なんだか、凄く安心した」
「そんな事ないよ。えっと……そういえば名前……」
「ああ、平野隼人。君は?」
「宮久保沙耶子だよ。 よろしくね」
宮久保沙耶子と名乗る少女は笑顔を作る。
その笑顔はとても明るくて、僕には眩しい位だった。
笑う。
たったそれだけの事が、僕には凄い事だと思えた。
あれだけ絶望的な状況にありながらも、こんなに明るくなれるのだ。
僕はというと、笑う事もなく、ただ毎日を惰性の様に過ごしている。
もしかしたら、今ここで宮久保に出会った事で、何かがこれから変わるのかもしれない。
そんな希望を抱いて、僕は不器用に笑い返した。
放課後の、いつもと同じ一人だけの帰り道。
道の両脇には、ファーストフード店等の賑やかな店が建ち並んでいる。
学校帰りの学生達が集まるには、こういった道はとても便利だ。
僕はどこにも寄らずに真っ直ぐ帰宅するのだけれど。
周囲では友人同士で騒ぎながら、帰宅している生徒達が見られる。
なんだか、とてつもなく居心地が悪い。
まったく、群れる奴の気持ちが分からない。
しかし、そんな事を考えている自分は、我ながら相当病んでいると思う。
「ハア……」
軽く溜息を吐いて、自分の前を歩いている生徒達の一団を追い越す。
一人でこんな行動を取るのは容易く思えるが、実際は難しい事だ。
無愛想に横切って抜かれた相手は、どう思うのだろうか。
きっと、あまり良い気持ちはしない筈だ。
この行為その物が、相手に邪魔だと告げる意思表示なのだから。
バスに乗って帰れば良かった。
そんな事を思っていると、ポンと肩に手が置かれる感触がした。
振り返ると、昼休みに出会った少女がいた。
「こんにちは。平野君」
宮久保は明るいな。
見習わなければいけないと思ってしまう。
なんだか、彼女の息が少しだけ荒い。
「どうした? そんなに息を切らせて」
「だって、平野君、歩くの凄く早くって」
それは、たぶんこの場の空気に馴染めなかったからだろう。
「ああ、きっと、僕は都会人なんだよ」
とりあえず、そんな事を言って誤魔化してみた。
「え?」
彼女の表情に疑問が浮かぶ。
「都会人っていうのは、歩くのが凄く早いんだよ。東京の方とか行くと、皆サッサと歩いてるだろ。それは、仕事とかしてる人が多いから。それと同じだ」
「へー。平野君って、学校の勉強そっちのけで、雑学とかに詳しそうだよね」
「それって、誉められてるのかな?」
「うーん……半分」
「そっか、半分か」
こんな他愛もない会話をしたのは、かなり久しぶりだ。