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現代異聞・第終夜『行っちゃ駄目』

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 風呂に入って火照ったはずの体が、今はもうすっかり冷え切ってしまっている。厳寒の冬に放り出されたかのように全身が痙攣じみた震えを繰り返し、歯の根が合わずかちかちと無様な音を鳴らしていた。
「鍵子──」
 助けを求めるように喘ぎ、受話器を戻すことさえせずに遊戯室を飛び出す。廊下の仄暗さ、周囲を取り囲む森の威圧するような黒さは言いようもない程のおぞましさを掻き立て、来るときには感じなかった粘つくような湿気が漂い始めているのを知ると、ますます俺は落ち着きをなくして恐慌した。走ろうとしても足がもつれ、まともに歩くことすらままならない。黒ずんだ壁に手をつき、這いずるように両足を引き摺り通路を抜ける──酩酊したように意識は揺らぎ、廊下の平坦な道程が何度も方向と勾配を変えているようにさえ感じられた。
 何とか部屋の前まで辿り着くと、不潔な色に錆びついたノブを回し、倒れ込むように部屋へと入る──三人で酒でも飲んで大騒ぎしているのかと思えば、意外なことに室内は傷口を抉るような痛みを伴う沈黙に包まれていた。風呂に行く前は皆笑顔で楽しそうに話をしていたのが、一様に押し黙り、蒼白な表情を浮かべている。その生気のない視線に見詰められ、心底ぞっと震え上がった俺を尻目に、三人は皆テレビの方へと向き直ってしまった。不吉な予感が膨れ上がり、峰岸先輩の肩を押し退けるようにテレビの前へとまろび出る。妙に古めかしい機械をしっかりと両手で掴み、画面に映るざらざらした質感の映像、あの忌々しい受話器から聞こえてきたのと同じ途切れ途切れの音声が、かろうじてニュース番組を放送しているのだとわかる──見たこともない女性のアナウンサーはニュースの内容に相応しい、葬儀の参列者か、悪意によって作られた能面のような無表情で、淡々と今日あった出来事を語り連ねていた。
 視界が揺れる。
 三人が何か呼びかけている──言葉は意味を為さず、鼓膜に届いても脳で認識してくれない。
 手足は冷え切り、背筋に氷水を注がれたような悪寒に責め苛まれる。
 みっともない程に震え、
 がちがちと歯を鳴らし、
 知らぬ間に溢れていた涙を堪えることもできない。
 ──本日午後六時頃、
 ──……県の国道……号で、乗客七名を乗せたバスとトラックが……、
 ──……面衝突しました。
 ──トラックの運転手は頭の骨を折るなど重傷、
 ──バスの運転手は死亡、
 ──……他、乗客の内、男性会社員……様一名が重傷、
 ──女性、県内の大学に通う女性……、

「──うわ、あ」

 叫ぶ。
 電源を消そうとする。
 コンセントをどれだけ引いても抜けない、
 電源を押そうとしても指先が震えて覚束ない、
 ──聞くな、
 誰かに命令されている気がする。
 膝の骨が崩れたように立ち上がることもできず、
 ──止めろ、
 ──止めてくれ、
 泣き喚き、意味のわからないことを叫んだ気がするが、もう自分でも何を言っているのか判然とはしなかった。
 三人も泣きながら俺の体に縋りつき、
 何とか落ち着かせよう、宥めようと必死に言葉をかけてきて、
 けれど俺は身も世もなく泣き叫んで暴れ回り、
 縋りつく三人を振り解こうとして、
 ──止めて──止めろ、
 ──お願いします、
 ──止めて下さい──。
 
「──助けて」

 最後にそう叫んだことだけは、はっきりと理解できた。

 ──乗客……女性、
 ──県内の……に通う女性──、
 ──稲毛洋子さんが意識不明の重体、
 ──……病院に運び込まれましたが、

 ──……時、死亡が確認されました。

 ──死亡が、確認されました。

「──鍵子」