小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

現代異聞・第二夜『長い遺体』

INDEX|8ページ/13ページ|

次のページ前のページ
 

 村にあるお寺と造りが似ている。ただ、中はがらんどうだった。黒塗りの格子戸がはめ込まれていて、勝手に開けられないよう太い縄が何重にも巻き付けられていた。縄の編み目から黒い糸が何本か飛び出していた。髪の毛だ、と咄嗟に俺は恐怖した──髪の毛の縫い込まれた縄で、戸は固く閉ざされていたのだ。
 格子戸の奥、がらんどうだと思っていたところに、何かが置かれていた。
 がらんどうだったわけではない。
 床一面に布が敷き詰められていたのだ。
 何もかもが布で覆い隠されていた。
 不自然な隆起。
 天井から吊り下げられた不気味なお守り。
 ──ゴンケ除けが、
 百も二百も天井からぶら下がって、隠された何かを見下ろしている。
 俺は悲鳴を上げた。隠されていたものが何なのか、悟ってしまったからだ。
 横に五つ並んだもの。
 不自然な隆起──不自然なのは盛り上がっているせいじゃなくて、
 盛り上がり方が異様だったのだ。
 こんな形になるはずがない。
 これはおかしい。
 これでは──

 ──ここに並んでいるものが五つの死体だとしたら、全部が全部、
 ──あんまりにも、長すぎるじゃないか。

 まるで──五つの死体に、もう一人の人間が組み付いているかのような──。
 そうだ──俺はあの不自然な五つの盛り上がりを見て、
 泣きながら家に帰ったのだ。
 家には必死の形相で念仏を唱えている祖母がいて、
 ──まさか、
 ──まさかおめ、見たんか──。
 ──ゴンケになっちまったものを──、
 ──ゴンケを見たんか──。
 叱責──されたのだ。
 本当に子供の頃だったし、当時の祖母は老いてはいたが恐ろしく迫力のある人で、俺はますます泣き叫んだ。その後お寺だの何だのと連れ回されて、家に戻れたのは結局夜更け過ぎになってからだった。
 話を聞かされた祖父は俺を叱ることなく、難しそうな顔で何度も電話を繰り返していた。祖母は何故か姿を見せなくなっていて、家には見たこともないような大人達が大挙して押し寄せた。
 狂乱と言っていいような有様だったと思う。当時の俺は大人が動揺するということがそもそも信じられなくて、ようやく自分のしでかしたことの重大さに気付いたのだった。結局騒ぎは翌々日まで続いて、祖母も家に戻り──ようやく全てが終わった頃には、俺は村中から半ば爪弾きのような状態になってしまっていた。祖父母だけは変わらず接してくれていたのだが、
 ──変わったのか。
 多分変わったのだろう。
 ゴンケを見てしまった俺は、祖母にとって許し難い人間だったのだ。
「……だったら、見捨ててくれたら良かったんだ」
 あんな馬鹿みたいな真似をしないで、
 村の人間達のように、俺を無視してくれたら良かった。
 友達は一人もいなくなった。
 大人達は俺と目を合わせると、忌々しそうに舌打ちしてから視線を逸らした。
 特に傷ついたわけではなかったと言ったら、強がりを言うなと馬鹿にされるだろうか? でも本当に、俺は大して傷ついたりせず、呑気と言っても良いような生活態度を貫いていた。子供だから言葉にはできなかったけど、今ならはっきりと理解できる──この世には抗うことのできない不幸の塊のようなものがあって、それに触れてしまったが最後、二度と元の生活に戻ったりはできないのだと。俺はまだ自分の置かれた境遇がましなものだということを、足りない頭でもきちんと悟っていたのだ。
「──今ならわかるよ」
 あのお堂の中にあったもの。
 あれは笹川藤治とその取り巻き達の死体なのだ。
 長過ぎる死体だったのだ。
 奴らの足腰には、苦悶の形相を浮かべたもう一体の死体がしがみついていたのだろう。だから死体は誰の目からも隠され、あんな山奥の古寺に遺棄され、隠されたのだ。大人達は笹川達こそ災厄の種だと言いたげな様子で、ゴンケ除けの神事を執り行って──その途中で俺が、あいつらの死体を見てしまった。
 笹川や他の取り巻き連中の家族は、村人の視線に耐えきれず、他県へと引っ越して行ったのだろう。露骨か婉曲かは知らないが、何らかの嫌がらせがあったのかもしれない。
 俺は幸い蔓引の家の人間という背景を負っていたから、無視される程度で済んでいた。それでも自分の意思で村を出たのだから、結局海ゴンケに関わってしまった人間は全て、村の外に追い出されたという形になるのか。
 仕方ないと思う。俺は笹川達の死体を直接見たわけではないけれど、それでもあの名状しがたい忌ま忌ましさ、胸のむかつき、脊髄に直接冷水を流し込まれたような悪寒は、忘れようと言っても忘れられるものではない。まして直にあの死体と接し、お堂まで運んだ大人達は、どんな気分でそれを行えたのだろうか。
 多分誰も触れたくなくて、
 まして──しがみついていた死体を引き剥がすなんて、そんな真似はできなかったのだ。
 だから長い死体は長いまま、
 あのお堂に隠されていた。
 祖母が怒り狂ったのも無理はない。きっと祖母は知っていたのだ──ゴンケに関わった人間の末路を知っていた。
 だから、
「──だから俺に死んで欲しいのか」
 ──そんな無念な形相で、
 ──そんな無惨な有様で、
 ──そんな苦痛に責め苛まれながら。
「俺に死んで欲しいのか」
 繰り返す問いに答える声はない。
 代わりに、べしゃり、と濡れた雑巾を壁に叩き付けたような音が響く。波間を縫って吹き付ける潮風は生温く、孕んだ悪臭は既に痛みを生ませる程の代物と成り果てていた。ただれ、膿んだ砂浜が海水に洗われ、痛みに悶えるような潮騒を鳴らす。事実この海は既に傷み、汚れていた。砂を攫う細かな水の流れは、小魚一匹姿を見せることのない死の流れだ。とうの昔に宿主を失った貝殻ばかりが散らばり、生命の気配をまるで感じさせない。
 足下が定まらない。無慈悲な月光は嫌味な白さで、死ねと囁いてくる。村の明かりが背後で次々と消えていくのがわかった。夜闇の質量と粘性が増してくる。肺と心臓がいっぺんに締め付けられるような痛みに襲われ、俺は膝を突きたくなる衝動を必死に堪えた。
 ──怖い。
 ──怖い。
 でも、誰も助けてくれない。昔の知り合いを何軒か訪ね、今晩海の方で様子のおかしいことがあったら、一度様子を見に来てくれと頼んでおいたのだが、まさかのこのこと顔を出すような馬鹿は一人もいないだろう。
 それでいいのだ。
 好きこのんで不幸に関わる馬鹿はいない。まして俺は一度村の規律を侵している、言ってみれば罪人のようなものなのだ。蔓引の家の人間であること、村を出て二度と帰ってくる気配がないことで、かろうじて許されていたに過ぎない。葬式の受付をやるだけならまだしも、再び規律を侵そうという人間をわざわざ助けに来る人間なんて、この村には一人だっていやしないだろう。
 でも──それでいい。
 俺は助かる努力をした。この悪魔的な恐怖から逃れようと、救いを求めて手を伸ばした。
 多分それが──それこそが、俺の果たすべき責任なのだ。
 見も知らぬ人間を助けたところで、満足などできようはずもない。
 俺は俺自身を助けようとすることで、初めて満足できた。
 助かることが重要なのではない。助けることが重要だ。
 海が押し寄せて来る。