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現代異聞・第二夜『長い遺体』

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■ 転 ■


「やっぱり人の言うことなんて聞かなかったな」
 深々と息を零し、俺は柔らかい砂を踏んだ。月明かりは鈍く、夜の海面は油のような重さを湛えてたゆたっている。
 潮風の生臭さと粘つく感覚は耐え難い程で、正直こんな場所で遊ぼうなどという人間の気が知れない。波乗りだか何だか知らないが、心底から馬鹿げている──白く砕けた波の、薄っぺらい表皮に板一枚乗せるだけの遊びでしかない。自然に挑戦するとか、自然と交わるとか色々口触りの良い台詞を耳にすることも増えてきたが、俺には全く理解できなかった。
 ──俺は、人が作った物が好きだ。
 冷たくて硬い手触りが好きだ。無機的で生命の欠片も感じさせないものが好きだ。生まれつきの気質のようなもので、理由などないと考えていた。
 だが──きっと、俺はこの村で育ったから自然が嫌いになったのだろう。
 黒々と口を開けた夜に、岩陰も海岸線も何もかも、自然の全てが呑み込まれている。村の灯す明かりだけがささやかな抵抗を示してはいるものの、いずれ茅部村もまた夜の一部として取り込まれてしまうのだろう。月も星も、地表にへばりつき醜く這い回る人間達のことなんて気にもしていない。夜空は眼下に暮らす俺達のことなんて見下ろすことすらなく、冷厳と、死者の瞳のように閉ざされ続けているだけだ。
 俺達はいずれ死んで、不明瞭な夜の一角になる。
 それが嫌だから人間は高い建物を建てて、不夜城の如き街を築いて、少しでも夜空を削り取ろうとしているのだ。
「……これも、少しぐらいは……そういう役に立つ、かもな?」
 落ちていた線香花火を拾い上げ、ひとりごちる。先程慌てて逃げ去っていった若者達が残したものだ。よくよく見れば、辺りには彼らが遊び呆けていたらしい形跡が無数に残されていた。スナック菓子の袋、中途半端に膨らんだ浮き輪、携帯用の椅子、片方だけのサンダル──ビーチボール、波乗り用の板、散乱した花火。車のタイヤ痕がはっきり刻まれて、まだ彼らが立ち去ってから五分と経っていないことが窺える。
 ──まあ、窺えるとか言うと、さも俺の頭が良さそうに聞こえてしまうか。実際には俺が彼らを追い散らしたのだから、まさに目の前で見聞きしただけの話なのだが。
 当然の話として、暴力なんてもってのほかだ、包丁を両手に握り、さも何らかの薬物中毒者であるかのような振る舞いで、海遊びに興じる若者の輪に乱入したのである。俺が奇声を上げて暴れ回っている内に、皆一様に車に乗り込み、走り去ってしまった。
 ──昼間、注意だけしといてやったのにな。
 鍵子に言われたからというわけでもないが、何となく気になったのも事実だ。
 俺は仕方なくあの後鍵子を連れて、観光目的で来たらしい彼らの後を追った。砂浜で泳ごうとする馬鹿にはきちんと注意したし、まして夜遊びなんて絶対駄目だと言い聞かせたのだ。馬鹿にされ、何やら罵声を浴びせられた気もしたが、今となっては何を言われたのかおぼえていない。とにかくあいつらが徹底した低脳で、人の警告もろくに聞けないような愚図だということだけは理解できた。
 ──きっと夜も来るでしょうね。
 ──どうしましょう。
 ──どうしますか──紘一郎さんは?
 今思えば、全て鍵子にそそのかされてやったことという気もする。あいつが変な説教さえしなければ、俺は心置きなくあの馬鹿どもを見捨ててやったことだろう。そしていつもの通りに家に帰り、いつものように眠っていたはずだ。
 ──助けなくても良いんですか?
 ──助けないことで満足できるんですか──?
 俺は──満足したかったわけではないのに。
 結局俺は一人、物狂いの真似をして、馬鹿どもを追い散らしたというわけだ。
 俺をそそのかした鍵子本人はというと、バイト先からの連絡があるとかで、家から出ようとはしなかった。一応玄関まで見送ってはくれたものの、あいつがしてくれたことと言ったら、追加の包丁を一本持たせてくれたことぐらいだ。
 後はごく普通に、玄関から手を振り、早く行けと急かされた。退路を断たれたのだ。
「……よく考えたら、こんなの俺がやる必要ないだろ……あいつがやれば良かったんだ」
奇声を上げ突進してくる俺の姿に、馬鹿どもは見事に周章狼狽した。
 彼らは警察に通報しただろうか? だとしても、この砂浜に人が寄越されるのはあと何時間か経過してからということになる。村の駐在も今がどんな時期か熟知しているから、海で事件が起きたとしても容易には動かない。隣町やら県警やらの人間が派遣される可能性も考えたが、それにしたって迅速な出動ということにはならないだろう。駐在所に駆け込んでも、対応する人間なんているはずがない。
 皆、──家の中に閉じこもっている。
 戸を閉め、鍵をかけて、窓という窓に目隠しの布を被せて。
 頭から布団にくるまり、わけもわからずに怯えている。
 ふと気になって視線を逸らすと、山の方で一際明るい光が灯されていた。
 ──あの辺りは、
 確か古いお寺だか何だかがあったはずだ。道路が整備されているわけでもなく、険しい山道を二時間近くかけて歩かなければならないため、普段は人が寄りつくこともない。そもそも、あの寺だか何だかわからない場所には絶対に近寄るなと、子供の頃から言い聞かされてきたのだ。当時根性の曲がった餓鬼だった俺は、行くなと言われればどうしても行きたくなり、悪友数人を連れてひいひい言いながらも訪れた記憶がある。
 古色蒼然として、今にも朽ちてしまいそうな場所だった。
 周囲を木々に囲まれているせいだろう、暗くてじめじめと湿っていて、それだけでも子供を震え上がらせるには十分な不気味さだ。異様な造りの門があって、獣の足跡が幾つも残る石畳みが敷き詰められていた。まるで墓場のように土饅頭が幾つも点在し、卒塔婆とも違う奇妙な板きれが何本も突き立てられていた。そこまで見ただけで、悪友達は泣いて逃げ帰ってしまった──視界を埋め尽くす板きれの一本一本から、えもいわれぬ不気味さ、おぞましさが滲み出していたためだ。
 ──俺は、
 勇気があったわけではない。ただ手のつけられない馬鹿だったというだけだ。
 ──なんだあいつら、
 ──ビビってんの。
 ──こんなん怖くもなんともねえよ──。
「──嘘だ」
 呟き、線香花火を目の前に持ち上げた。
 さっきの連中が落としていったらしいライターで着火する。小さく弾ける火花の中に、嘘をついて強がるかつての自分の姿が映った。
 ──嘘だ。
 俺は怖くて怖くて、足が震えて、
 ──怖くねえよ。
 そう言い聞かせないと、腰が抜けて逃げ出すことすらできなくなりそうだったから、だから何度も声に出したのだ。
 一歩一歩、呆れる程の遅さで石畳を踏み、土饅頭と板きれからできる限り視線を逸らしながら──俺は奥へ奥へと進んでいった。行ったことのない場所、禁忌とされていた場所を、何故俺は寺だと思ったのか。
 ──確か、
 小さなお堂が──あったのだ。