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現代異聞・第二夜『長い遺体』

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 誰でも死ぬのは怖いし、悲しいし、無念だと思う。でもそれはあくまで未知への恐怖だろう。誰も死んだことがないし、死んだ後のことなどわからないから、だから怖いのだ。どれだけ抗っても連れて行かれてしまうから、それが悲しくて泣き叫ぶのだ。もう二度と親しい人達と会うことも、話すこともできなくなってしまうから、伝えきれなかったことを思って後悔するのだ。
 でも祖母の表情は、そんな通り一遍の感情では説明できない無念と、痛切な後悔に覆われていた。醜く、おぞましく、寒々しい死に顔。死因は突然の心臓発作で、医師の話だと痛みを感じる暇もなかっただろうとのことだが、だとしたら一体何が災いしてあんな死に顔を晒す羽目になったのか。
 突然家で倒れ、運ばれた先の病院で亡くなった祖母を──まるで気味の悪い化け物か何かのように見る看護師と医師の顔を、どう説明したらいいのだろう。
「……気持ち悪い──死に顔だったんだ」
 まがりなりにも衣食住の全てを提供してくれた恩人に対して、言うべき台詞でないことはわかっている。だが他の言葉では全て上滑りしてしまうのだ。祖母の死に顔は無念に満ちあふれていて、ひどく気持ちが悪かった。
「……俺は──」
「──死ぬことは、気持ち悪いことですよ、紘一郎さん」
 鍵子は──。
 ふにゃふにゃとした、いつもの頼りない笑顔で言ってきた。
「死ぬのは、厳かなことに思われがちですが……私は、ただ気持ちの悪いことだと思います。子供の頃、電車に轢かれて亡くなった方を間近に見てしまったことがありましたが……人間の尊厳なんてどこにもない、ただ気持ち悪いだけの、肉の塊でした」
「……祖母ちゃんは、事故で死んだわけじゃないんだけどな」
「同じですよ。電車に轢かれても、病に伏しても、凶刃に倒れても、死ぬのは一緒です。死んだ後は肉と骨の塊です。意思も言葉も通じない。だからただ、気持ち悪いのです。それでいいのですよ」
 ──それでいいんです。
 駄々をこねる子供に言い聞かせるような、強く、でもどこか穏やかな声の響き。
 恩人の死を、気持ち悪いと──思ってしまっても、罪ではないのか。
 俺は何だか、少しだけ安心できたような気がした。
 鍵子は鍵子なりに、俺を慰めようとしてくれたのだ。
「……いい大人が落ち込んだり慌てたり、みっともなかったな」
「人が死ぬというのは、そういうことです。良くも悪くも周囲を動かす。まして不意の死となれば、動揺するなというのも無理な話でしょう」
 ──それこそ気晴らしが必要ですよ──。
 そう言って、鍵子は遠い海岸線へと視線を投げた。あともう五分か十分ほど歩くと、その一角から漁港が途絶し、整備のされていない砂浜が現れる。夏場には少ないが海水浴客が訪れ、また釣りに興じる人間達もやって来るのだ。俺自身はあまり自然に触れ合って遊ぶという感覚がないのだが、いわゆるレジャーブームという奇妙な流行の中には、辺鄙な田舎で遊び呆けることも含まれているらしかった。
 港沿いの道路を、一台のワゴン車が走り抜けていく。観光客らしく、荷台にはサーフボードだの何だのが詰め込まれているようだった。
 鍵子にもそれが見えたらしい。ふにゃふにゃとした口許を、更に緩めながら言ってくる。
「紘一郎さんも、サーフィンなんかやってみたらいいのに。お似合いですよ」
「俺に? 海が?」
「いいえ、沈むのが」
 にこにこと笑いながら毒を吐く。いつもの調子に戻ったと喜ぶべきか、失礼な奴だと怒るべきか、恋人としての見地からは判断が難しい。
「誰が沈むかよ。それに──楽しみにしてたんなら申し訳ないけど、海遊びなんてできないぞ。あの砂浜の辺り、立ち入り禁止の看板出てるだろ」
「……海水浴場ではないのですか?」
「違うよ。少なくともこの時期は違う」
「くらげでも発生するとか?」
「そういうわけじゃなくてさ。もうすぐ──」
 ──海ゴンケの日だろ。
「この辺りの風習でさ。海に入るな、海を見るな、海に行く奴に関わるな……っていう日が、何日か続くんだよ。だからわざわざその時期にだけ、ああやって看板立ててんだ。関わるなっつったって、看板で警告するぐらいは許されるからさ」
 茅部村の住民達にとって、この時期の海はただ忌まわしいものなのだ。夜になれば家中の窓を閉め切り、明かりを消して、玄関から何から徹底的に施錠する。不意に夜中起きたときに海の方を見てしまわないよう、海側を背にして眠るという念の入りようだ。
 外部の人間からすれば、科学の発達した時代に馬鹿馬鹿しいと思うだろう。だが村はこの決め事を厳格に守り通してきた。たとえ実際には何の根拠もない迷信だったとしても、今更決まりを変更するだけの理由も見つからないだろう。
「俺の家と、あと何軒かの家……それに寺の住職さんだけは、その時期は夜になるとどっかに出かけてさ。お祈りだか何だかするんだと」
「お祈りですか。それはまた……何とも、凝った風習ですねえ」
「だろ? お前と付き合うようになってから、俺も大概怪奇だの心霊だのって信じる気にはなってるけどさ。それでもやっぱり、ここまで仰々しいと、ちょっと胡散臭いって思うよ」
 禁じられた日の神事は、今年も祖父が中心になって執り行うのだという。祖母が死んだ年ぐらい誰かに代わってもらえば良いと伝えはしたのだが、祖父は頑として受け入れなかった。
 ──ゴンケ除けはよ、
 ──蔓引の家がやんなきゃなんねんだよ。
 ──そりゃお寺さんにも手伝ってもらうけどよ、
 ──仕切るなぁ蔓引の家のもんでなきゃ。
 そうだ──あの特別な神事は、ゴンケ除けと呼ばれていたのだ。俺がそれを知らされたのは、もう家を出る直前だったように思う。
 子供には神事の名前すら告げられなかったのだ。
 父は死んだのだから、もし祖父が亡くなってしまえば、ゴンケ除けを行える人間がいなくなってしまう。俺はもう茅部村で暮らす気はない、どうするんだと尋ねると、
 ──ああ、いいんだよ、そんなんせんでも。
 ──紘ちゃんはよ、気にしねぇでいいんだ。
 ──紘ちゃんまでこの家に戻って来るこたねんだよ。
 ──俺のよ、弟夫婦がいるで、
 ──あいつらがこの家に戻る話はついてんだ。
 ──俺が死んでも、紘ちゃんには迷惑かけねぇよ。
 「──胡散臭くても、信じてる人がいるわけだからさ」
 それに──禁じられた日に海へと赴き、笹川藤治達は死んでしまったのだ。
 だからというわけでもないが、もし余計な災難を逃れられるのだとしたら、仰々しくても胡散臭くても、やるべきことはやらなければならないのだろう。
「ちなみに紘一郎さんは、その日に海を見たり、海に行ったりしたことは?」
「あるわけないだろ。村中どこの家でも、海ゴンケの間……特に夜なんかは、親が厳しく見張ってんだよ。犬猫まで小屋の中に閉じ込めて、ほとんど外に出さないんだぜ?」
「成る程……相当厳しく言い伝えられ、守られてきたのですね」
「ああ。まあ実際のところ、そこまで厳しく言い付けられるのは二日間ぐらいで、後は海にさえ行かなけりゃいいって感じなんだけどさ」
 ゴンケ除けを行う二日が過ぎたら、昼なら海を見ても良い。