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現代異聞・第二夜『長い遺体』

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■ 承 ■


「嫌な村ですねえ」
 第一声ではっきりと断じ、鍵子はいつものふにゃふにゃとした笑顔で周囲を見回した。
 観光気分などまるで感じさせない、いつものワンピース姿。対して俺は未だに喪服を脱がないでいるのだから、鍵子の服装についてとやかく言えた筋合いもない。まして鍵子をこの嫌な村まで呼びつけたのは他ならぬ俺自身なのだから、文句など言えた立場ではないのだ。
 呼びつけるにも苦労があった。何やら多忙なバイトをしていたとかで、疲れただの休みたいだの散々愚痴を聞かされたのだ。バイトの疲れは俺の責任ではないような気がしたが、そんな鍵子を呼びつけたのは俺自身なのだから、一応頭を下げて懇願し、何とか今回の帰省に付き合って貰えることになった。
「そう言うなよ。まあ、田舎は田舎だけどさ。魚は美味いよ」
 魚を食べに来たわけじゃないですよ──と鍵子はにべもなく言い放つ。沖合から漂う潮風は重く、鍵子の髪を梳くように吹き流れていった。爽やかさなど微塵もなく、ただ潮臭くて重苦しい空気が、波の合間から押し寄せてくる。
 ──本当に……嫌な村としか、言い様がない。
 茅部の狭い景観を見渡し、俺は深く溜息をついた。
 見渡せば目に映るのは木造校舎と古い神社、狭い国道に単線の線路。
 小さな駄菓子屋を脇に備えた、田んぼを真っ直ぐ貫く一本のあぜ道。
 木々が生い茂る山肌から流れた川は、村を綺麗に分断している。家々の軒先からは灌木が顔を覗かせ、垣根には色とりどりの装いを見せる花が絡みついていた。
 村は鋸の歯のような海岸線に、さながら苔のようにへばりついている。山地か、あるいは傾斜地と言うべきなのか、とにかく山がそのまま海に向かって雪崩れ込んでいくような地形のため、交通の便など望むべくもない。丘陵地帯を抉り抜いて無理矢理民家を埋め込んだような、不自然な集落だった。
 海岸の形状が複雑なためか防波堤が高く設けられ、白い波濤が押し寄せては砕けて黒々とした海へと引き戻されていく。漁港としては優秀で、養殖業も盛んなのだが、いかんせん俺には縁のない話だった。ところどころ錆び付いた船も、蛇のように伸びる係留用のロープも、何もかもが陰気に沈んでいるように見える。  
砂浜もあるにはあるのだが、かなりの距離を歩かなければならない。運動嫌いの鍵子が了承するはずもなく、結局俺達はゴム製の防舷材に沿って港の縁を延々と歩き回っていた。今にも朽ち果てそうな船、古びた民家の数々を見遣り、鍵子が抱いた感想が嫌な村だ──ということなら、これはもう素直に同意するしかない。
 なんというか、この村には活気がないのだ。
 過疎地ではあるのだろうが、それなりの人間が暮らしている。歩いていれば漁師の姿を目にすることがあったし、民家の軒先では老人達が暇そうに駄弁っていた。学校帰りの子供達とすれ違うこともあるし、郵便局員が自転車で脇を走り抜けていくこともある。
 これだけ人がいるのに──これだけ人と出会うのに、生活の匂いがほとんど感じられない。通りすがる村人全員がエキストラか何かで、村民役を演じているような余所余所しさがある。建物や背景は全て書き割りで、どこか知らない場所で監督が必死の指示を飛ばしているようだった──この村がさも本物であるかのように思わせろ、と。
「昔からこんなところだったんですか?」
「いや……どうだったかな」
 ──こんなものだったようにも思う。
 だからこそ俺は、一刻も早くこの村を飛び出したくて、隣県の高校で寮住まいをすることを決意したんじゃなかったか。
「──思い出せないな。多分、あんまり変わってないだろ」
「ああ、道理で」
「……何が道理で、なんだよ」
「嫌な村では嫌な人間が育つのですよ」
 実の恋人に嫌な人間呼ばわりされた。怒るより先に疲れが噴き出す。初夏とはいえ陽射しは強く、蒸すような熱気が地面から立ち上っていた。じっとりと汗ばむ肌を不快に感じながら、ただ時間を潰すためだけの歩みを続ける。
 ──こいつには悪いことしてるな。
 何を考えているのか今ひとつわかりにく横顔を覗き込み、内心でこぼす。
 鍵子を呼んだのは、祖母の死に少なからずこいつが関わっているからだった。別に恨んでいるわけではなく、むしろ感謝すらしているのだが、気持ちの整理がつかないことに変わりはない。再び村に足を踏み入れるのが怖かったということもある──まるで四、五歳の子供のような言い分だが、怖かったものは仕方がない。昔暮らしていた屋敷に辿り着いた瞬間、恐怖の輪郭がより明確なものになった気がした。
 久し振りの帰省なのだから、少しぐらいは望郷の念でも湧くものだと思っていた。感謝すべきか憎むべきかわからない祖母についても、死に顔の一つも見れば哀悼の念ぐらいは抱けるだろうと思っていた。
 だが、実際には望郷も哀悼も欠片すら見当たりはしない。あるのはただ、ひたすらの徒労感と後悔、潮風に混じり粘り着く不快感だけだ。
 ──死に顔、
 ──死に顔を見たせいか。
 顔にかけた白い布を取り払い、あの死に際の形相を見てしまったせいだろうか。
 遺体の顔など──見たところで、何を得するわけでもないのに。
 俺が腰を抜かしみっともなく震えるのを見たからだろう、祖父は棺の蓋を釘で打ちつけてしまった。以来、親類縁者の誰一人として祖母の死に顔は見ていない。火葬されて骨になってしまえば、どんな死に顔だったとしても関係ないだろう。まさか骨まで歪んでいるわけではないのだ──あるいはそんなこともあり得るかもしれない、と僅かでも思ってしまっているとしても、現実には起こり得ない。
 ──紘ちゃんよ、
 ──こうなっちまうんだよ。
 ──蔓引の家の人間はよ、だから、馬鹿な真似さできねんだよ。
 ──こんななっちまってよ、
 ──誰が手ェつけてくれるよ、
 ──俺も紘ちゃんもよ、しょうがねぇから葬式すんだよ、
 ──誰もこんなよ、
 ──こんな顔の死体なんざよ──、
「──葬式だってしたくない……か」
 祖父の言葉を思い出し、意味もなく空を仰ぐ。
 先を進んでいた鍵子が歩調を少しだけ緩め、俺の隣に並んだ。失礼なことを聞きますが──とこいつにしては珍しい前置きをしてから、
「──蔓引トミさんは……どんな死に顔だったのですか?」
 と──本当に失礼なことを聞いてきた。
 普通の人間なら怒るだろう。だが俺には怒る気力がなかったし、不思議な話ではあるのだが、鍵子には話すべきだとすら考えていた。こいつもまた、祖母の死に関わった人間の一人なのだから、物事の顛末を知らされないままでは申し訳ない。
 どうせ言ったところで、俺の見た映像が正しく伝わるわけじゃない。一言二言で済む話なのだ。
 まるで自分に言い訳をするような心持ちで、俺は何度か浅い呼吸を繰り返した。
 夏の暑さか、あるいはもっと別のもののためにか、掌にはじっとりと汗が滲んでいる。
「……そうだな。まあ……言葉にしちゃえば簡単なんだけどさ──」
 ──物凄く、悲しそうで、
 ──物凄く、無念そうだったよ──。
「人間にあんな無念で、悲しくて、耐え難い後悔なんてあるのかってぐらい……今にも泣き出しそうなぐらいに、叫びそうなぐらいに、無念だって顔だったよ」