覇剣~裏柳生の太刀~
板張りの床に若者は、ただぼんやりと胡坐をかいて座っていた。
板張りの古い道場である。
剣道を習う道場である。
奥に段差があり、奥に神棚があり、その奥の畳の段に老人が静かに横たわっていた。
寝ているのではない、絶対に動かない物体化したもの、亡骸であった。
息を引き取ってから、ほんの数時間しか経っていなかった。
死に顔は穏やかだが、心の臓からは血が大量に出ていた。
数時間前に心臓に穴が開いたのだ。
心臓に故意に穴が開けられたのだ。
試合、そう、死合いだと龍剣(りゅうけん)は剣士(けんし)に言った。
剣士には断るという単純な思考が飛んでいた。
文字通りその時に飛んでいたのである。
否な空間だった、ざらっとして、まるで粗い粒子の画像を見ているような、そんな否な空間だった。
否なところなのに、抜け出せない、否なところなのに、逃げられない。
自分の意思が自由にはならなかった。
それが18年続いた、18年間、剣士には付きまとった。
その呪縛が突然、まるで煙のように消えて行ってしまった。
剣士は畳の上に横たわる老人を見る。
道場の中は暗く静かでしんとしていた。
思考が停まってはいたが、何かをしなくてはと頭の片隅に浮かんでいる。
剣士は、ゆっくりと立ち上がり、道場から外に出た。
外はまだ暗いが、東の空が微かに白くなってきた。
朝なのだ、今更ながらに剣士は思った、朝なのだ、何かをしなくては、家に行く、自分の家に行く、かつて龍剣と暮らしていた家に行く。
道場から歩いて数十歩、だが、時間の観念が今の剣士には欠落していた。
作品名:覇剣~裏柳生の太刀~ 作家名:如月ナツ