覇剣~裏柳生の太刀~
風が吹いた。
初夏の風が若者の持つ太刀を素通りする。
太刀の刃先から香りが立ち込めてきた。
早乙女流剣術(さおとめりゅうけんじゅつ)の太刀は不吉と言われた。
早乙女流の太刀は災いを招くと言われた。
だから、こうなったのかもしれない。
若者、剣 剣士(つるぎ けんし)はふと思った。
右手に握られている太刀の刃先から香りが立ち込める。
普通の太刀なら曇っているはずだが、この太刀は妖しく輝いていた。
この太刀が熱を帯びているように剣士には感じられた。
風が涼みだした、時が溶け出した、心が溶け始めた。
何もかも融けて流れれば良いと思った。
雨が降り出した。
雨が降り出した。
雨が剣剣士の頬を打った。
雨が剣士の頬を強く打ち始めた。
剣士の頬は熱い涙で更に濡れる。
匂い、香り、熱、溶け始める、動き始める、音が聞こえた。
水の中のような曇った音。突然、剣士には雄たけびが聞こえてきた。
驚く、音に驚く、いや、声に驚いた、それが自分の声に気付いてまた、驚いた。
山鳴りが聞こえる。
雄たけびが聞こえる、雨音が聞こえる、風の音が聞こえる、感覚が、五官が、心が、身体に1秒の何万分の1のスピードで、戻ってきた。
剣士は吼えた、こうなってしまったことに吼えた。
龍剣を倒したことに吼えた。
自分の祖父を倒したことに吼えた。
音、風、雲の流れ、太刀が匂いを濃くし始めた。
妖刀と言われた太刀、江戸幕府徳川家が不吉な太刀として退けた太刀、「村正」は熱く震えた。
剣士が震えた。
空気が震えた。
そして時代が共振し始めた。
作品名:覇剣~裏柳生の太刀~ 作家名:如月ナツ