舞うが如く 第六章 1~3
舞うが如く 第六章
(2)精鋭たちの果て
庄内藩で新たに作られた第四大隊は、
大隊長の水野藤弥以下、兵員は750名をほこる部隊です。
庄内藩は早くから洋式兵学を習得して、戊辰戦争開戦時には
3個の大隊を保持していました。
その威力は絶大で、緒戦では東北の勤王派諸藩を圧倒していました。
さらに秋田藩との戦闘が膠着状態化してくると、
新たに一個大隊が編成されて、敵軍の本拠地を襲撃すると云う
作戦が検討されました。
その結果、慶応四年七月二十日、
新徴組を含む諸隊が糾合して、
第四の大隊が編成される事になりました。
第四大隊は、
庄内藩の北方に位置する矢島藩を陥落させ、
亀田藩を降伏させるなど、勤王派諸藩を各地で追い詰めます。
更に、東北における勤王派の中心的存在である秋田藩の本拠地・久保田城を
攻略すべく、要衝の椿台へと向かいました。
この攻撃は「鬼玄蕃」と異名を取る、
勇将・酒井玄蕃指揮下の精鋭部隊・第二大隊との共同作戦であり、
第四大隊が此処を落とすか、第二大隊が長浜を落とせば、
秋田藩が降伏すると思われました。
しかし、守る政府軍側も名将・鍋島茂昌の指揮のもと、
庄内藩を上回る最新装備で武装した武雄藩兵三個小隊を投入します。
秋田藩兵に新式銃器を供与して、陣地正面を守らせる一方、
佐賀藩が得意とするアームストロング砲で火力による支援を行い、
武雄兵が迂回して側面を突いた為、ついに形勢は逆転し
第二・第四大隊は敗退を余儀なくされてしまいます。
特に第四大隊においては、
百名程の死者を出してしまいました。
これは庄内戊辰戦争における、庄内藩の最大の敗北となりました。
この敗戦を受けて、庄内藩の全軍はついに領内へと退却をし、
謹慎して新政府の処罰を待つ事となり、
庄内藩における戊辰戦争がここで終結をしました。
余談となりますが
庄内藩の戦後処理を巡っては、貴重な逸話が残されています。
それが、日本人には圧倒的な人気を誇る
西郷隆盛の登場でした。
作品名:舞うが如く 第六章 1~3 作家名:落合順平