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舞うが如く 第六章 1~3

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 宗次郎は、近藤家で下働きをしながら剣の修行を重ね、
やがて青年期になってから、名を総司と改名します。
沖田家へ婿養子に入った林太郎は、
清河八郎や山岡鉄太郎(鉄舟)らが結成した「虎尾の会」に触発されます。
清河らが提案した「浪士組」に、天然理心流・試衛館一門の近藤勇、
土方歳三、義弟の沖田総司らとともに参加をしました。


 沖田林太郎は浪士組・三番組のひとり、
(後の壬生浪士隊・局長の一人、新見錦が小頭)
として上洛をはたします。
ところが、清河八郎の裏切り行為が幕府側に露呈してしまったために、
わずか2週間余りで、浪士組は江戸へと呼び戻されてしまいます。
 芹澤鴨や近藤勇一派の20名余りは京都に残り、
壬生浪士隊を名乗りました。
彼らが後に、会津藩預かりとして、京都で治安警護の職につき、
やがて新撰組と名前を改めることになります。
明治維新前の動乱期に、幕府を背負って志士たちの弾圧組織として
暗躍したことで、後世にその名を残す存在になりました。



 清河八郎が佐々木只三郎らに暗殺されると
「浪士組」は庄内藩・酒井忠篤の預かりとなり、呼び名も
「新徴組」と改め、沖田林太郎がその組頭となりました。



徳川四天王のひとつ・庄内藩、酒井左衛門尉忠発(ただあき)の
江戸屋敷のちかくに新徴組の屯所を構え、赤い陣羽織の隊士たちは、
最盛期には200名を越えました。


 歴史の展開は幕府陣営の予想をはるかに超えて、
大きなうねりとなりました。




 慶応3年(1867)11月、
260年続いた徳川幕府は15代将軍・徳川慶喜の
大政奉還をもって、武家政治はその最後の幕を閉じました。
それとともに、新しい時代の実現を旗印にした、
薩摩と長州の同盟を中心とする倒幕派と、旧幕府軍や東北諸藩による
一年半にわたる「戊辰戦争」と呼ばれた、国内最後の内戦が始まりました。
 慶応4年(1868)2月、庄内藩の江戸引き上げが始まると、
新徴組も家族と共に、出羽庄内へ移動することになりました。



 庄内入りした新徴組は、3月20日、
鶴ヶ岡城下の西南8㎞にある湯田川温泉の地で
旅館と民家などの、37軒に分宿をしました。
その本部は湯田川温泉の「隼人旅館」に置かれ、庄内藩士らと共に
戊辰庄内戦争を、勇猛果敢に戦いはじめました。