舞うが如く 第六章 1~3
舞うが如く 第六章
(1)沖田林太郎
話は、少し時代をさかのぼります。
琴の兄、平沢良之助が加わった浪士組は、
幕府の命令を受けて、京都からひきあげ再び江戸へと戻りました。
幕府方によって清河八郎が暗殺された後に、「新徴組」と名前を改めたうえで、
庄内藩の預かりとなり、江戸市中の警護職につきました。
その組がしらを務めたのが
沖田総司の義兄にあたる、沖田林太郎です。
沖田林太郎は文政十年に、
日野宿の井上家(新撰組六番隊隊長・井上現三郎の実家)の分家で
八王子・千人同心の井上家に生まれました。
近藤周助(近藤勇の養父)の江戸市谷にある
天然理心流・試衛館道場に入門して、免許皆伝を得ます。
一方の沖田家は、
陸奥白河藩士である沖田勝次郎(林太郎の妻・みつと総司の父)は、
実は、白河藩の江戸屋敷で採用された武士の一人でした。
当時の参勤交代では、陸奥・白河藩からも
大勢の藩士たちが随行をしました。
しかし、一年間の江戸詰の生活でかかる費用が、
藩財政をおおいに圧迫しました。
そこで経費削減の為に、弱小や外様の他藩と同じように、
江戸で藩士を雇い入れて、江戸屋敷内での仕事に従事をさせました。
したがって沖田家は、白河には一度も行った事が無いままに、
そこでただ雇われただけの「白河藩士」でした。
しかし、その沖田勝次郎が亡くなり、
母とも死別した為に、沖田みつと幼い弟の宗次郎(総司の幼名)は
母の実家である、八王子の井上家の近くで住むことになりました。
沖田家を存続させる為に姉のみつに、
井上家の分家から婿養子を迎えて、沖田家を相続させることになりました。
宗次郎は幼かったために、近藤周助のところに預けられます。
(1)沖田林太郎
話は、少し時代をさかのぼります。
琴の兄、平沢良之助が加わった浪士組は、
幕府の命令を受けて、京都からひきあげ再び江戸へと戻りました。
幕府方によって清河八郎が暗殺された後に、「新徴組」と名前を改めたうえで、
庄内藩の預かりとなり、江戸市中の警護職につきました。
その組がしらを務めたのが
沖田総司の義兄にあたる、沖田林太郎です。
沖田林太郎は文政十年に、
日野宿の井上家(新撰組六番隊隊長・井上現三郎の実家)の分家で
八王子・千人同心の井上家に生まれました。
近藤周助(近藤勇の養父)の江戸市谷にある
天然理心流・試衛館道場に入門して、免許皆伝を得ます。
一方の沖田家は、
陸奥白河藩士である沖田勝次郎(林太郎の妻・みつと総司の父)は、
実は、白河藩の江戸屋敷で採用された武士の一人でした。
当時の参勤交代では、陸奥・白河藩からも
大勢の藩士たちが随行をしました。
しかし、一年間の江戸詰の生活でかかる費用が、
藩財政をおおいに圧迫しました。
そこで経費削減の為に、弱小や外様の他藩と同じように、
江戸で藩士を雇い入れて、江戸屋敷内での仕事に従事をさせました。
したがって沖田家は、白河には一度も行った事が無いままに、
そこでただ雇われただけの「白河藩士」でした。
しかし、その沖田勝次郎が亡くなり、
母とも死別した為に、沖田みつと幼い弟の宗次郎(総司の幼名)は
母の実家である、八王子の井上家の近くで住むことになりました。
沖田家を存続させる為に姉のみつに、
井上家の分家から婿養子を迎えて、沖田家を相続させることになりました。
宗次郎は幼かったために、近藤周助のところに預けられます。
作品名:舞うが如く 第六章 1~3 作家名:落合順平