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現代異聞・第一夜『覗き込む女』

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■ 承 ■


「──そこで、目が覚めたんですか」
 呆れたような、感心したような、どちらともとれない口調で鍵子(かぎこ)が相槌を入れてくる。話し込んでいる間にすっかり温くなった茶で唇を湿らせ、湯飲みをテーブルの上に置いてから頷いた。特別話し上手というわけでもないのに延々喋り続けたせいで、すっかり喉が渇いている。
 空調の効き過ぎた学生食堂で、俺は妙な脱力感と共に椅子の背もたれへと寄りかかった。昼休みも終わりが近付き、午後まで講義を入れている学生達は教室移動のために散らばっていく。残るのは空いた時間を何とか潰そうとしているか、あるいはただのサボリ組かのどちらかだ──ちなみに俺は前者、しかもラスト一コマに講義があるという馬鹿みたいな履修登録をしてしまったせいで、暇を持て余している真っ最中だった。
 一人でぼんやりしているのも芸がない、サークルにでも顔を出そうかと思った矢先、同じように暇を持て余してうろうろしている鍵子を見つけた。そこで俺はこれ幸いと、最近やけに繰り返し見るようになった悪夢の話を聞かせたのだ。この手の話を振るのに、鍵子以上に適した人間は他にいない。
「それはまあ、なんとも類型的なお話ですねえ」
「類型的って……しょっちゅうこういう夢を見るのが?」
「いえ、それは紘一郎(こういちろう)さん独特のもので、充分異常かと」
 にこにこしながら、悪意など一切ありませんと言いたげな表情でさらりと言い放たれる。実際鍵子に悪気があったわけではないだろう。こいつに気遣いだの礼節だの、そういうのを求める方がはなから無理な話なのだ。
 長く伸ばした髪は背中の中ほどまで届き、前髪は細い眉毛の上で綺麗に切り揃えている。人当たりの良さそうな面立ちで、顔の造りはいかにも柔和そのものだ。垂れ目がちな双眸、真っ直ぐ通った鼻筋──だが口元だけが何とも表現し難い緩さを備えている。
 漫画のキャラクターに喩えるとしたら、俺達一般人の口の形は直線、こいつの口は多分波線で書かれることになるのだろう。
 ふにゃふにゃして頼りなく、笑っているというよりも単純に締まりがない。だらしないわけではないのだが、見る人によっては不真面目な奴だと思うだろう。実際鍵子は真面目な学生とはとても言えない生活態度だから、俺もその点に関しては擁護できない。
 白いワンピースに、桃色の薄いカーディガンを羽織っている。
 仕立てからして上等で、一目で高価なものであることが知れた。かくいう俺はと言えば何の変哲もない大学生で、ひょろながのっぽの見本のような体型にワイシャツ、スラックスと、格好まで草臥れている。鍵子と並べてみると、一層俺の貧相さ加減がわかろうというものだった。
 勿論、鍵子というのは本名ではない。
 ではないのだが、こいつを本名で呼ぶ人間を、少なくとも俺は一人も知らない──知り合った当初から鍵子、鍵子と呼ばれていたし、曰く高校入学当初からの付き合いだという女性も、本名で呼んだことは一度もないと言っていた。
 これと言って特徴のない、どこにでもいそうな名前をしている癖に、何故あだ名が鍵子という奇妙な代物になってしまったのか、その理由はわからない。本人に聞いても教えてはくれなかった──というより、本人も由縁を知らないのではないかと思われる。
「類型的なのは紘一郎さんではなく、今話して下さった夢の内容です」
「……こんな変な夢が?」
「ええ。怪談話とか、百物語とかであるでしょう。古びた旅館で何者かに追い詰められて、トイレに逃げ込む。ゆっくりと扉をノックしていき、いよいよ自分が隠れている個室のドアもノックされる。でも開けない。何をされても開けない。そうこうしている内に気を失う──ふと目覚めるとすっかり辺りは明るくなっている。安心して上を見上げると──
 ──自分を追いかけていたモノがドアによじ登りこちらを見下ろし、『見つけた』と言って笑う──」
 ──舞台が病院だったり、学校だったりと変化はありますが。
 ふにゃふにゃの口元で、ふにゃふにゃと溶けたような口調で、鍵子は饒舌に話しを進めていく。
「ようするに、逃げられるだけの広大な空間──言い換えれば『時間をかけてゆっくり追い詰められるだけの空間』があって、女性がいても不自然ではない状況であれば、細かな舞台設定はどうでも良いのです」
「何で女がいなきゃいけないんだよ」
「逃げる者を追い詰めるのは女と、もうずっと昔から相場が決まっているからですよ──」
 ──旅館なら仲居さんが、病院なら看護婦が、学校なら女生徒が──。
「──付き物でしょう。女性の活躍する職場、活動的であっても咎められない空間は、意外とありそうでないですから。紘一郎さんが見た夢の舞台が旅館だったのも、不思議ではありません」
「ありませんか」
「ええ。想像力が足りない証拠です。男尊女卑的かつ旧弊的な男根主義思想が精神の奥まで染み付いている愚昧さです。普段脳を使わない生活をしている男はこれだから駄目なのです」
 最後の最後で思い切り罵倒された。
 ……ここまで言われて怒らない俺もどうかとは思うが、そこはそれ、惚れた弱みというやつだ。
 ──我ながら、何でこんな奴と付き合ってるんだ?
 胸中で呻く。
 こちらの煩悶など知る由もなく、鍵子は腹黒さとは裏腹の微笑みを浮かべていた。
 そもそも──俺と鍵子が出会ったのは、俺達二人が所属しているサークルでのことだった。心霊現象研究会という、余程の馬鹿か暇人しか足を踏み入れたがらないような場所に、馬鹿な上に暇人だった俺達はほいほいと吸い寄せられたのだ。
 日がな一日いい若者が集まって怪談話をするという、平和だが決して健全ではない集会に、俺達は飽きもせずに参加し続けた。他に娯楽を探そうにも流行のロックはやかましくて好きになれなかったし、学生闘争なんて阿呆臭くて首を突っ込む気にもなれない。同期の学生達がマルクスだの共産主義だのと喚いているのを尻目に、俺達は呑気な怪談話に明け暮れていた。
 性格はともかく、見た目だけなら清楚な美少女といった風情の鍵子は、言い寄ってくる男には事欠かなかったらしい。入学早々体調を崩し、長期入院を余儀なくされていた俺には知り得ないことではある。
 少なくとも知り合った当初、こいつに交際を申し込む男子学生の姿を見たことはあった。
 高嶺の花というわけでもなく、鍵子は告白される端から了承の返事をしていたようだ。
 だが──鍵子との交際関係は、皆ことごとく長続きしなかった。
 つい一週間前に薔薇の花束を用意してきたような奴が、突然鍵子を避け始める──そんなことが何度も繰り返された。中には大学を中退していった奴もいるらしい。一週間保てばいい方で、告白した翌日には頼むから別れてくれと泣いて懇願する男までいたそうだ。
 自然──鍵子は、少しずつ周囲から浮いていった。
 そんな事情を知らない復学したての俺は、心霊系サークルの中ですら奇異の目で見られていた鍵子に、あっさりと一目惚れしてしまうことになる。
 後は自然の流れというか、とんとん拍子というか、そんな感じだ。付き合ってくれと切り出した俺に、鍵子は「どうせ一週間も保たないでしょうから、ご自由に」という返事を寄越したのだ。