金の燕
「だから、これを母から強引に奪ってきたのだ」
ひらり、とローラはパンツのポケットから一通の手紙を取り出した。宛先まで見る余裕はないけど、消印は押してないのだろう。
「……つまり、手紙を投函するのを口実に外に逃げてきたってことか?」
「ご名答。でも散歩も一人じゃ味気ない」
ローラはトントンとオレの手の包みを手紙で突いた。
「だからこれは、マイクが手紙を出すのに付き合ってくれたあと、家で受け取りたい」
そうじゃなきゃ受け取らないぞ。
国民の味方のはずの軍人はにまりと笑い、善良な国民を脅してくる。
オレは考える。
チーズケーキを作ったのは我が妹。届けない、届けても受け取らないとわかった日には何が起こるかわからない。きっとこの顔に爪痕が残る程度じゃ済まないだろう。付き合う時間は午前中いっぱい、四時間程度か。しかし相手はオレの大嫌いな人間。それが一番のネックなのだが、相手からはオレが自分を嫌っているという自覚があまり見えない。
「……」
それよりも何よりも、オレを誘う女の顔がひどく楽しそうで、……オレを惑わせる。
「……最高午後までだからな」
「約束する」
碧の目を細めて、ローラは微笑んだ。
* * *
ポストが置いてある場所なんて正確に調べたことはないが、これだけはわかる。舗装されて石畳のある道に設置してあることぐらい。
「おい、どこに行く」
石畳もない、土を踏み固めただけの道の、三歩前を歩くローラの後姿はますます上機嫌に見える。とりあえず道順からして、うちとシグ家間にあったはずのポストへ行く気はなさそうだった。失敗した。もっと考えて悩むべきだった。
「出来れば郵便局まで行ってもいいと思っている」
「ふ・ざ・け・ん・な!」
ぶんと鞄を振って腰にぶつける。イテとおどける長身の女の腰は、ベルトで締められている見た目よりずっと細そうだった。
「郵便局は冗談だ」
「じゃあどこまで行くんだ、オレもう帰るぞ」
「まあまあ」
こっちこっち、と徐にローラが手招きする。……草むらどころか茂みなんですけど。
軍人ともなれば植物ごときに遅れを取ってはいけないということなんだろうか。ローラは髪に葉がつくのも気にせずがっさがっさと木と木の間を潜っていく。ポスト一つにどこまで体を張らなければならないのかと、踵を返そうかと思った矢先、手首からこっちが、ちょいちょいと茂みの奥へオレを呼ぶ。
わがままを聞くのはこれで最後だ。嫌いになる理由が増えるなんてある意味幸福かもしれないと目を瞑り、思い切り飛び込む。
ぎゅっと手を掴んだ手があった。剣ダコだらけでごつごつした、でもオレより細い指。がさがさと前の見えない草木の間、誰かもわからない手に引かれて歩く。
まるでどこか、違う世界へ誘われているようだった。不思議と好奇心が勝っている。嫌悪感や恐怖心がいいスパイスになっているみたいだ。
「うわ……」
抜けていきなり呼吸がしやすくなる。
「いい眺めだろう」
自然と頷いていた。確かにいい眺めだ。なだらかな丘陵地帯の中腹あたり、眼下に広がる光景は草の緑と空の青。右手に見える街が少し顔を変えて小さく見えて、こんな場所がこんな近くにあったのかとオレは感嘆の溜息を吐いた。時間を変えたら、例えば夕暮れに見たらまた違った趣を魅せてくれるだろう。
吹き抜ける風が心地よい。
髪を押さえるローラを見て、オレは思わず吹き出した。
「葉っぱ」
「ん?」
「ついてる」
自分の頭を指差して示すが、ローラは反対側の髪をぱらぱら払う。違う反対、と手を変えてオレは自分自身の髪を指差すも、ローラは全然葉を払えないでいる。苛々として葉、ひいてはローラの髪へ手を伸ばす。ピタ、と手が触れ合った。さっきまで掴まれていたことをいきなり思い出し、オレはばっと手を引っ込める。ちょっとあからさますぎたかとバツが悪くなるも、ローラはありがとうと、短く切りそろえた金髪を払って葉を落とした。
「それ、食べても怒られないだろうか」
指差す先はオレの鞄。見れば一、二枚葉が入り込んでいる。ローラの質問に正確に答えられないオレは、妹手作りのベークドチーズケーキを取り出してみる。ちょっと歪になっているが食べる分には支障はないだろう。問題はクラリスが野外でしかもオレと食べるのを咎めないかという点だが、ここにクラリスがいるわけでもない。いいんじゃねーのと手渡すと、ローラは簡単に受け取った。
あれ。もしかしてミッションクリアしてるような気がする。ポストに着く前にお使いを終えてるぞ。これならもう脅しは効かない。あとはシグ家へ行ってノートをヘリバーに渡すだけだ。というところまで考えてオレは気付く。
「……」
帰り道がわからない。
「甘いものは好きだ」
草原に堂々と座るローラは鼻唄も歌いだしそうにラッピングを解いている。この策士め。頭がいいというのはこういうことをいうんだろう、勉強になった。伊達に入軍半年で隊長に昇りつめた器じゃない。
「レアチーズケーキじゃなくてよかった、手掴みでも食べられる」
「……行儀悪いぞ」
「軍人に何を言う」
その言い方は何千人もいる同僚の軍人に失礼じゃないだろうか。ぱたぱたと左手で地面を叩き、座れとジェスチャーされる。
気付いたのだが、こいつ、結構身勝手だ。自分の思うようにそれとなく軌道修正して欲しいものを手に入れている。きっと今までの人生もそう過ごしてきたのだろう。侮れない。
今だってそう。街中の郵便局に行くと高めな条件を提示して、茂みという近道に思えた低めな条件を飲ませた。実際は、帰り道のわからない草原よりも、郵便局に行ったほうが早かったかもしれないのだが。
「……美味いか?」
いただきますと大地とチーズケーキに挨拶をしてかぶりついたローラに、適度に距離を置いて座りながら尋ねる。
「ああ。クラリスの菓子は昔から美味しいな。こてこてに甘い物が出て来ないのが玉に瑕か」
そういえばさっきもそんなことをいっていた。女だけどローラは妹の王子様的存在だ、甘い物は贈り辛いのかもしれない。イメージが先行しているというわけか、なるほど。
「こうやって二人きりで話すのはもしかすると初めてだな、マイク」
オレへ一切れチーズケーキを差し出される。躊躇しているとローラはずいとケーキを寄せてきて、オレは渋々受け取った。
「ヘリバーは元気にしているだろうか」
ローラがふと疑問を口にした。独り言に似ているが、オレへ向けられた質問だ。帰省先の実家に弟君は住んでるんだから昨日会って話しただろうと思うも、オレは小さく頷いた。
「そうか」
それ以上ローラは特に喋ることなくケーキを口に運ぶ。姉弟としてではなく友人の視点から近況を聞きたかったのだろうか。でも特に話すことなんてない。日々進学に向けて頑張ってますとしか報告できない。というかこいつと口をきくのはやっぱり躊躇われる。もごもご美味しいベークドチーズケーキを味わいながら妙な沈黙に悩んでいると、ローラがケーキを食べ終えた。
「昔からな」
ぱらぱらスポンジの欠片を細い指が払う。
「姉と弟、性別が逆だったらよかったのにと。よく言われていた」
ドキリとした。それはオレも思ったことがあったからだ。