金の燕
「何だァ、坊主」
マイク、とクラリスが半泣きで縋りついてくる。
「彼氏クンかい?」
「……妹が失礼しました」
「ははあ、お兄さんでしたか!」
右頬にわかりやすく大きな傷を持った男と、スキンヘッドの男に軽く頭を下げ、行くぞ、と小声で妹を促す。こんなゴロツキに構っていられるほどオレたちは暇じゃない。平和といえど、やはり内側でもピリピリしているということか。いやこういうバカに情勢なんて関係ないか。
とにかくここは逃げの一手だ。中身はともかく外見は大の大人を相手するだけの筋力はオレにはないし、荷物を持ってあげればクラリスも走れるだろう。チーズの入った紙袋を持とうと手を差し出すと、おっと、と顔に傷痕を持った男がオレの手を掴んだ。胸倉をグンと持ち上げられ、一瞬踵が浮く。
「生意気なお兄さんだ」
「妹さんの不始末はお兄ちゃんがとってくれるってことかな?」
よほど暇してるらしい。近づく顔にやはり見覚えはない。こんな目立つ傷痕なんて一度見たら忘れない……だろう、多分。街中全員の顔を覚えているわけでもないけど、他所者だ。いい服、とはいえ制服を着ている学生にわざわざつっかかるのだから。
これが兄さんだったら、手首を持って関節の反対方向へ捻りあげるんだろう。以前ちょっと教えてもらった護身術がかすかによぎるも、実際現場に立ってみれば何のことはない。何も対抗できずに、クラリスだけでも逃がす方法を必死に考えるだけしかできないでいる。
「きゃっ」
もう片方のスキンヘッドの男が今度こそクラリスを捕まえようとしているのを横目に捉え、オレはじたばたもがく。
「クラリス!」
「イ、テテテッ!」
突然、クラリスの腕を取っていた男が悲鳴を上げた。
誰だか知らないけど優しい街人さんありがとう。感謝の眼差しを向けると、後ろ手に腕を捻りあげられた男の苦痛に満ちた顔。その後ろに、キラリと光る金髪があった。
「やれやれ、カジナスも大分穏やかじゃないな」
……四、オレより背が高い。
助っ人は男の背中を蹴り飛ばした。露天に店を開いていた八百屋に男の腕があたり、ばらばらぐしゃりとトマトが散乱する。血ではない赤が地面を濡らし、まるで流血沙汰のようにあたりがグロテスクに染まる。
「て、めえ!」
思わぬ伏兵の出現に驚いたのはオレやクラリスだけじゃない。オレを捕まえていた男が乱暴にオレを放った。バランスを崩して地面に足をついたオレの目の前で、殴りかかろうとした男がひょいとしゃがんだ目標物に空振りし、がつんとアッパーを喰らわされた。
あっという間の活劇だった。
「クラリス、大丈夫か?」
……五、オレより運動神経がいい。
金髪碧眼の長身の美女がクラリスへ微笑む。
「……ローラおねえさま!」
逃げ去っていく男たちに美女が「弁償していけー」と軽い口調で注意するも返事があるはずもなく、駆け寄るクラリスを抱き締めた。
「大丈夫そうだな、よかった」
その左手首には金の鎖の腕輪が嵌められていた。わかる人にはわかる、あれには一羽の燕が彫られている石が付いているはずだ。
「……すまない、落ちたトマトは私が買い取ろう」
いやいや滅相もない、と手を振る八百屋の店主に、今更ながら、助けてくれなかったことへの怒りがこみ上げた。理不尽だとわかっていたから態度には出さないけども。
「怪我はないか、マイク」
……もう何番だっていい。オレを男扱いしないこと。もしかするとそれが最大の理由かもしれない。
差し出された手など借りず立ち上がり、埃を払う。長身の腰にくっついているクラリスが牙を剥いているがそんなの無視する。
ローラ・シグ、それがオレのこの世で一番嫌いな人間の名前。