金の燕
1
「帰りましょ、マイク」
鐘が鳴った瞬間に引き戸が開かれ、廊下側一番後ろの席に座っていたオレを呼ぶ声がした。「今日はここまで」、ようやく教師が終わりを告げて教室中が動き出す。
「早く!」
教師が出て行くのを待たず同年代の女が教室に入り込み、オレの机へ手をついた。
「相変わらず仲良いな、お前ら」
「何が良いもんか」
隣に座っていた友人がノートを閉じながら笑い、オレはペンを仕舞いながら軽く否定する。急ぐ様子の見えないオレへ女が早くとガタガタ机を揺らす。余計仕舞い辛いだろうが、バカ。オレは見せしめに普通レベルからゆっくりレベルへスピードを落とす。
「わざとなの、わざとね、マイク! 早くって言ってるでしょ、ランお兄さま帰って来ちゃうわ!」
早くも癇癪を起こし始めた女へ顔を向ける。伸ばしている飴色の髪がふわりと揺れた。伸ばせばなんてことないが、短くしているオレにしてみれば忌々しい天然パーマ。同じ色して同じ質した髪を見て、怒っているんだろう顔まで見る気が失せて、ざっとまとめた自分の所有物を手に持ち、友人へ視線を送り立ち上がる。
「悪いな、ヘリバー。お先」
「ああ、ランゾールさんによろしく」
「こちらこそ、ローラおねえさまによろしくね!」
明るく我が友人へ手を振る妹の言葉に苛立ちを覚えながら、オレは教室をあとにした。
* * *
燕が帰ってくる。
グランドル国立西部カジナス地区第二学校十年生、十五歳の春。義務教育生の最上級生になって二ヶ月が過ぎた。
卒業までのあと十ヶ月の間に、受動的だった未来を、自分の足で歩くため自分の目で決めなくてはならない学年だ。
曜日毎に定められた時間割をこなし、ロッカーに教科書を詰め込んだあとの帰路。課題の出た教科書とノート、筆記用具だけを詰めた鞄を肩にかけて校門をくぐる。前を歩く飴色の髪と、紺色のスカートのプリーツが翻った。
「マイク!」
「何だよ、クラリス」
「もっと早く歩きなさいよ! 陸上記録会で出した百メートル十三・七秒の脚を発揮、発揮!」
「普通に帰るのに何で走らなきゃならねーんだ」
首を回す。一週間前の記録会で録った記録を今持ち出されても困る。走るにしても家まで一キロ近くある。短距離型向けじゃない。それよりも問題は目の前を速歩きしている妹のオレの扱いだ。
「クラリス」
「なあに」
「同じ兄弟なのに、何でオレのことは呼び捨てなんだよ」
不平等だといつも思っているし、言っているのに、クラリスは悪びれる様子もなくフンと鼻を鳴らした。
「一緒に産まれた人間をお兄さまだなんて呼べないわ」
「一緒じゃない、オレのほうが数分早い」
「後から産まれたほうを姉って呼ぶ説もあるのよ」
「話をややこしくすんな」
それは腹の中では上にいたから、というものだ。断じて認めない。オレが先に産まれたんだからオレのほうが兄だ。その点について揉めたことはないが、兄扱いしろというといつも話を逸らしたがる。
「とにかくランお兄さまと一緒にしないで」
三つ上のランゾール兄さんは国軍の人間だ。第三番隊の隊長をしている。配属は西の国境。西隣のシャイニア国が約一年前から不穏な動きをしていて、半年前に小競り合いをしたというニュースは記憶に新しい。今は睨み合っているだけだが、いつ情勢が悪化するかわからない。それを主に見張っているのだ。
そのラン兄さんが今日、一季節振りに帰ってくる。与えられた休暇は二週間だが、国境から往復でほぼ一週間かかるから、実質一週間の休暇だ。
しかしラン兄さんだけなら問題はないのだが、今回は嫌な情報を同時に入手していた。
――あいつも帰ってくる。
「それよりも、ねえ!」
クラリスが胸の前で手を組み、爪先立ちになる。まるで夢見る乙女だが、それはオレをますます苛つかせる。とりあえず毎日同じ屋根の下で暮らしているオレから見れば、絶対そうとは思えない乙女モード。しかもこうなると長い。
「ローラおねえさまにも会えるのね……! ああ、楽しみ!」
苛々する。見ているこっちの身になれ……いやそれよりも問題はクラリスの発言と態度だ。
「ヘリバーの言葉は本当よね?」
「……」
「マイクったら!」
「うるせーな……あいつがオレに嘘言っても得はねーだろ」
「そうよね、そうよね! ランお兄さまもローラおねえさまも一緒に帰ってくるなんて……素敵!」
ローラというのはオレやクラリスの一つ上の先輩であり、ヘリバーの実姉であり、ラン兄さんの同僚である。つまり、軍人だ。
何が素敵なもんか、と小石を蹴飛ばす。
オレはローラが嫌いだ。理由は簡単。
一、女のくせに軍人。
二、隊は違えどラン兄さんを差し置いて隊長。ちなみにラン兄さんのほうが年上。
「ローラおねえさま、チーズケーキはお好きかしらっ?」
三、双子の妹が超入れ込んでいる。オレはシスコンじゃないけど、オレそっちのけで花を飛ばされても癇に障る。それに、人んちの姉のことはおねえさまと呼ぶくせに、数分とはいえ実の兄のオレのことは呼び捨てというのがまた気に入らない。
ローラがまだ学校に通っていた頃は、それこそクラリスが何人、いや何十人もいた。学校のアイドル、とはまた違う、いわば王子様的存在だった。学年主席か次席、剣術部主将の肩書きがそんなに偉いのかと思う。同性に黄色い声を上げる心境はまず男のオレにはわからなかったが、それをオレにも強要するあたり性質が悪い。ちなみにローラの軍入りが決定した直後の進路希望調査では、入軍志望と提出した女子が大量生産されたらしい。
気付けば後ろを歩く元入軍志望者の妹は、乳製品を扱う小さな店でチーズを詰めてもらっているところだった。オレは足を止め、財布から銅貨を五枚取り出してその代金と引き換えにクリームチーズを受け取るクラリスを待つ。多分あれを持たされるのはオレだ。待たないで先に行けばいいのだが、それはそれであとでうるさい。
ぼんやり眺める街中は、活気があってにぎやかだ。隣国と睨み合ってるなんて、正直実感が沸かないぐらい平和な光景。
「あっ」
そんな平和な光景に似合わない、短い悲鳴が響く。何事かと振り返れば、見慣れない風貌のふたりの男の背中があり、その隙間から飴色の髪がちらりと見えた。
「……クラ、」
「ようよう嬢ちゃん」
「ぶつかっといて無視かい?」
自然と人々が道の端に寄り、クラリスがどこぞの不良青年に絡まれているのを遠巻きに見て、そして見ぬ振りをする。
ぶつかったのはあの男だったよ、と通りすがりのおばさんが連れのおばさんに小声で耳打ちする。何だってと思う暇なんてない。オレはクラリスの元へ足を向ける。
「イタタ、こりゃ骨折かな? イタタタ」
「え……」
「いい服着てるな嬢ちゃん。医療費ぐらい出してくれるよな?」
「……そんな」
「金がなくても介抱してくれるのでも充分だ、時間はあるかい?」
ものすごい言いがかりだ。仮にぶつかったのがクラリスにしろ、骨折はないだろう。十五の少女の肩が触れただけで折れる骨をしているとは、それこそすぐ医者に行ったほうがいい。まあクラリスに介抱されたらくっつく簡単な骨らしいが。
「すみません」
オレは男たちの横をすり抜け、クラリスの腕を取る。
「マ、」