洋琴奇憚
ゴールデンウィークに6週間遅れで開催された春の演奏会は、予定していた渋谷のスタインウェイを使った。見学にきてくれたあやかさんは、とっても素敵なノクターンを弾いた。聞いたら、コンクールとかにでてるそうだ。この日はなぜか司会をしてくれとずっと言ってきたので、司会ぐらいいいかなと思って引き受けた。司会だけといいつつ、タイムキーパーも結局やるはめになるけれど。
震災後、久しぶりにあったメンバーはみな元気にしていたが、仕事が大変になってしまったり、それぞれに困難を抱えていた。それだけに、音楽という共通の聖域は大切なものに思えた。
ももこさんは以前にもまして、二周年のコンサートに意欲的になって、会場を探し始めた。そして、ここはという場所を見つけたらしく、下見に行きたいという。家庭の事情でだんだん時間がとりずらくなっていたので、行くなら早々に、と思い、いっしょに見に行った。新しいホールできれいだし、ピアノの状態もよかった。ももこさんはいろいろこだわっていたけど。結構値段がかかるので、いろいろ計算しなくてはいけなかった。ある程度人数を集めないといけないらしい。
下見の帰りに、久しぶりに一緒に食事をした。話しているときは普通のおだやかなももこさんだし。
そういえば、ももこさんは震災のちょっと前から、常勤の仕事をみつけたらしい。まだ試用期間。普通は三ヶ月ぐらいで本採用になるのだけど、まだ音沙汰がないという。
『なんだか監視されてるみたいですよ。朝早くって、三ヶ月間は早出をやらされてるんです。八時に行くんですよ。建物古くて、地震のときはこのまま埋められるんだって思いました。』
『先輩は飴と鞭で、今日は厳しくてこわかったと思うと、次の日にはお菓子がでてきたりするんですよ。偉い人たちは近寄れない感じだし、採用になるかどうかも。それに、お給料がすごく安いんです。銀行に比べたら、もう、ただみたい。この間だって、申請書を出すにはこれぐらい読んでおいてもらわないとね、なんて、分厚い書類が出てきたんですよ。ひどいとおもいませんか。』
『前の銀行の時も、なにかと、あなたは頭が良すぎて通じないことがありますね、とか言われたんですよ。わたしもついムキになるから、もう駄目だわって思ってすぐにもう来ませんって言っちゃうんですよね。』
頭が良すぎて通じない???ごく普通の職場新人教育に見える仕事についての、この手の話はこのあと、正式に彼女が採用されても延々と続くことになった。
秋のコンサート会場を手配したことで、ももこさんのテンションは否応なしに上がっていた。少し短い間隔だけど、コンサートの案内をしたいからということで、六月の末に七夕をテーマに練習会が開催された。この日はももこさんが、他の会で知り合った、てまりさんという女性が来た。調律の勉強などもしていて、留学もしたという方で、トリビアの泉で、きっちりとして隙の無い演奏をするのに、話すと面白い方だった。メンデルスゾーンやシューベルトなど、あまり私が好んで弾かない曲を弾いてくれて、魅力に開眼することもあった。コンサートには乗り気で、いろいろ計画を出してくれていた。レオノーラは秋のお教室の演奏会と同じ曲を弾くので選曲に迷いはなかったが、ショパンのバラードというハイリスク・ハイリターン曲を選んでしまった。
この前後に、気になることがいくつかあった。
ももこさんが、しきりにブリッジさんの態度が冷たい、というのだ。メールに返事をくれないとか。それに、ヴァルトさんとみんなでハイキングに行こうって言ったのに、結局うやむやになった、とか。
ブリッジさんとは普通に連絡とれていたし、ヴァルトさんも普通にしていたので、何を言っているのかわからなくて、あまり取り合わなかった。
ブリッジさんには、ブログの実態がない、などと言われたという。たしかに、更新も遅れがちでほとんどできてなかったし、規約も前記事をスクロールしないと出てこないし、予定もわかりにくい。もうちょっと手を入れたほうがいいかもしれないと言ったら、ブログの構成を変えたりということはやったことないのだという。時間があるときにやってもいいよと言ったら、パスワードを連絡してきたので、プロフィールとか、今後の予定を前面に出し、管理人にメールを送れるようにし、規約やアンケートページへのリンクを張っておいた。彼女があとで更新できるかどうか知らないけど。
八月には、コンサートの宣伝も兼ねて、少し遠いアンティークピアノのある会場が用意された。ももこさんは、コンサートの出演者集めに躍起だった。ブリッジさんたちの某音楽教室から追加で参加があり、美園さんという素敵なドビュッシーの花火などを弾く人や、同じくドビュッシーを熱心に練習しているいしかわさんなどが参加を決めてくれ、結局、総勢15人の出演者が集まったが、最後までブリッジさんの出席が確定しなかったらしく、ももこさんは始終ぶつぶつ言っていた。
『ブリッジさん、ぜんぜんメールに返事くれないんですよ。』
そしてコンサートが現実の問題として皆のまえに出てくると、いろいろと意見があるらしい。客を呼びたいがパンフレットとかないのか、とか、チケットはあるのか、とか。
『みんな苦情は言ってくるんですよ。練習会とかやって、すぐはありがとうメールがくるけど、それ以外はなんだか苦情処理ばかり。わたし時間削って一生懸命やっているのに、ほめてもらえないなんておかしいです。』
ももこさんはコンサートでもまた連弾をやりたいというので、フランスっぽい曲で比較的簡単に弾けるもの、とドビュッシーの小組曲の1曲小舟を提案した。彼女はラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌをやりたいという。
『両方やりましょうよ??』
え。さすがに無理じゃないか。ももこさんは自分が弾こうと思っているドビュッシーのアラベスク、どうしてもできないと言って暗い顔してたし、弾くたびにどんよりしている。あと二つ小品を弾くと言っていたけど、それも1つはまだ譜読みしてないという。
八月の会では、小舟も弾いてみた。ところがここでまた事件が起きた。アマデウスさんの会で、ドビュッシーを弾いていた業界系のいしかわさんが、ドビュッシーには一言あるものだから、聞き終わった後で言ったのだ。
『ももこちゃん、それじゃドビュッシーにならないよ』
ああ、言ってしまった。挙句に、
『レオノーラさん、弾こうよ』
断る理由もなし。相応のテンポで弾いてしまった。ももこさんとの1.5倍ぐらい。アーティキュレーションもたっぷりと。
ふと振り返ると無言になってしまっているももこさんがいた。
『最近、忙しくて、だめなんですよ。練習できなくて。アラベスクは、どうしてもリズムがとれないんです。レオノーラさんのエステ荘が素敵だったから、似ている曲を弾きたいと思って選んだのに。レオノーラさん、この曲は似てるって言ってましたよね。』
分散和音で成り立っているところは似ていなくもないですが。解説した時に言った曲はラヴェルの水の戯れです。と訂正してみたけれど、
『そうですか。でも似てますよね。』
修正不能。