誰が為にケモノ泣く。Episode01『ある少年の告白』
2,少女の思惑、少年の事情
梶眞綾はある目的を胸に秘めて、緋武呂市にやって来た。
転校の理由は表向き家庭の事情となっているが、実際は完全に自分の都合だ。決断から実行まで実に短期間ですべてを解決(という名の強行手段)し、今日から緋武呂高校二年生として新たなスタートを切った。
梶は元々緋武呂市の生まれだ。だから、正確には『来た』というより、『帰ってきた』という方が正しい。小学五年生までここで暮らし、両親の離婚を機に母とともに緋武呂を出た。帰郷は実に六年ぶりだ。
校内の案内を終えた梶と一弥は教室に戻り、帰る準備を整えていた。
「んじゃ、俺は担任に報告があるから。中途半端でわるかったな」
二人以外に誰もいない教室に一弥の爽やかな声が響く。
一弥は鞄を手に取ると「じゃ、また明日」と梶に軽く手をあげて、先に教室を出て行った。
梶は手をぶらぶらと振って見送り、一弥がドアの向こうに消えると同時に自分の机に腰を下ろした。
「…ふぅ」
机に手をついて、一息つく。ようやく転入初日が終わった。隠していた疲労が呪縛が解けたかのように体中に広がる。
「…やっぱ、緊張するなぁ」
慣れない環境、クラスメイトから注がれる興味の目。それらを交わす器用さがあればいいと思うが、叶わぬ願いだ。
だが、それと引き替えに得られるものはあった。
八一弥との接触。
思ったより早く、目的は達成できるかもしれない。そう思うと疲労もいくらか軽減したように感じた。
「――果たして、ボクは真実にどこまで近づけるかな?」
梶は一人呟くと、机の上から降り、鞄を手に最後の一人となった教室を出た。
学校を出た梶は、そのまま家には帰らず寄り道をすることにした。
引っ越しや転入手続きなどでゴタゴタしていたので落ち着いて街を歩くのは今日がはじめてだ。電車から見た街並みはあまり変わっていないように見えたが、近くまで足を伸ばすと随分様変わりしているところが多いことに気づいた。
「…残念、このお店閉まっちゃったのか。結構マニアックな品揃えで好きだったのにな」
六年という歳月の経過は、無惨にも梶の幼き思い出を次々とモノクロ写真へと塗り替えていった。両親が離婚する前まで住んでいたマンションはより大きなマンションへと姿を変え、放課後遊んでいた小さな公園はすでに跡形なく、一軒家が出来ていた。
懐かしさというより――淋しさ。
もしかしたら、あの場所もすでにないのかもしれない。そんな不安が頭をよぎる。
住宅地を抜け、少し歩くと建物に変わって木々の姿が目立ち始め、見覚えのある雑木林が眼前に広がった。道も通ってはいるが車の姿は疎らで、風に揺れる木々の葉のこすれる音が心地よく耳に響く。
小さい頃は人気の少ないこの道を一人で歩くのが怖かった。昔と変わらない光景もまだ存在することに安堵し、意味のないと諦めかけていた思い出に歯止めをかける。
「ここは、変わっていない。…なら、あそこもまだあるはず」
祈りつつ、更に足を進めると道路脇に倒れた小さな看板を見つけた。梶はしゃがんで看板を手に取り、それがなにを示すものかを確認すると…安心して力が抜けた。
「…残ってる」
心なしか足が軽くなり、梶は雑草が伸び放題の小道に入った。膝くらいまで成長した葉や枝が進行を邪魔するが、足に傷がつくことも厭わず梶はどんどん奥へと進んだ。
そして、足が止まる。
目の前には、教会が建っていた。
だが、その姿は神聖的で荘厳というよりは、不気味で陰気な雰囲気を纏っていた。真っ白な外壁には蔦が巻き付き、ガラスのすべては割れて、中が剥き出しになっている。木製の扉についた鍵は錆び付き、もはや鍵としての役割は果たしていない。
押し開けるというより隙間を利用してこじ開ける方法は、六年前とまったく変わっていなかった。懐かしさに自然と頬が緩む。
「――ただいま」
教会の中は外から吹き込んだ風でひんやりとした空気に満ちていた。長椅子には白い埃が積もり、部屋の所々にはクモの巣がはっている。廃墟となる前は見事なステンドグラスが填め込まれていただろう箇所は、今も昔も変わらずに額縁として月を飾っていた。
すべてが変わっていない。まるでタイプトリップしたかのようにここだけが当時のままだ。
「…」
――だが、もうここに 彼 はいない。
この廃墟の主であった、少年は。
梶は、彼がいつも座っていた場所まで歩み寄ると床に積もった埃をさっと手で払った。梶の憂いを帯びた顔に絹糸のような細い髪が垂れ落ちる。
そして、梶はもうこの世にはいない人物に、静かに語りかけた。
「――ねえ、桐生。一体キミになにがあったの?」
梶は寂しげに目を伏せて、
「ボクは、それが知りたくて帰ってきたんだ。それはキミの死を曖昧なものにしたくなかったからだよ」
梶の目には、やり場のない憤りと悲しみが入り交じり、
「――ボクは、知りたい。
キミが死んだ理由を。そのために、帰ってきたんだ」
□■□■
ジリリリッ
ジリリリッ
「…うっせえ」
ジリリリッ
ジリリリッ
頭上で鳴り響く耳障りな音が八一弥を強制的に眠りから叩き起こした。一弥は唸りつつ、布団から腕だけを出して、己の役割を忠実に果たす目覚まし時計に手を伸ばした。
ジリリッ―
ようやく止まる。毎日毎日この目覚まし時計のおかげで余裕を持った朝が迎えられるのだが、なにしろ騒々しいので耳が痛くてたまらないのが難点だった。
姉が「いらない」と箱に封印していたのも、使用し始めて二日で納得できた。たが、朝起こしてくれる人がいない今の状況ではなくてはならない必需品であり、むしろ日々お仕事ご苦労様と感謝するべき存在だったりする。
一弥は渋々ベッドから下りると、眠気を覚ますために真っ先に洗面所へ向かい、冷たい水で顔を洗った。玄関に新聞を取りに行くと、姉の靴がまだないことに気づく。完徹だ。一弥は姉の体調を心配しつつ、朝食の準備に取りかかった。
朝飯は、トーストにベーコンエッグ、カフェオレのお手軽コンビで済ませ、学校へ行く準備を整える。
一弥は徒歩通学なので、歩く時間だけを計算して家を出ればいいので朝は比較的余裕がある。暇つぶしにつけたテレビのニュースも昨夜のものと大して変わっていなかったので、一弥は自室にあるパソコンをつけ、クラスメイトのブログを回ってみることにした。さすが同じクラスの人間なだけあり、昨日の記事は転入生の話題一色だった。
『正体不明のミステリアスガール現る!超美人、しかし性格に難あり?』
『女子のメンツに失望していた俺の春に遅咲きの桜のごとく現れたザ・クールビューティー!髪をかき上げる仕草がマジそそられるッ。』
本能丸出し、少々痛さも感じる記事を読みながら、これ本人が見てたら笑い話にもならないよな、と苦笑した。今後の交友関係に多大な影響を及ぼすのは間違いない。
「やっぱ感じていることはみんな同じか…ミステリアスガール、ねえ」
総合的に見ると、外見に関しては高評価。内面に関しては、本人の口数が少ないので、未知数といったところか。だが、けして人当たりが悪いというわけではなさそうなので、一線さえ越えれば友人になることもできるのかもしれない。
作品名:誰が為にケモノ泣く。Episode01『ある少年の告白』 作家名:いとこんにゃく