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いとこんにゃく
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誰が為にケモノ泣く。Episode01『ある少年の告白』

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「驚かせてしまったかしら?…まぁ、当然の反応か」
 薄闇に包まれた空間に、人影が動いた。
 月を覆い隠していた雲がまるでその声に反応するかのように消え去り、月光が室内を淡く妖しげに照らし出す。
「あんたは…」
 一弥は、なぜここに…と呟いた。
 月のスポットライトに照らされて現われた人物に、一弥は見覚えがあった。
 すらりとした長身を包む黒のライダーススーツ、顔を覆うフルフェイスのヘルメット。
 その人物は、一弥が数日前に道案内をしたワインレッドのハーレーに乗っていた女だった。
「久しぶりね、少年」
 女はヘルメットを脱ぐと、あらわになった彫刻のようなその美しい相貌に余裕のある微笑を浮かべてみせた。
 腰まで届く艶のある黒髪が風に揺られ、たおやかに靡く。
「…どうして?」
 一弥は完全に困惑していた。ここを知る者は、桐生に関わっていた人間しかいないはずだった。まして、女は緋武呂のことをよく知らないはずなのだ。なぜ、そのような人間が今、このタイミングで現れるのか?
「梶…なのか?」
 一弥は、隣に座る梶の顔を伺った。梶は「ごめんね」と小さく呟き、立ち上がった。
 梶と入れ替わるように女がブーツの踵を鳴らして、一弥の前に立った。ぴんと伸びた背筋。胸を突き出し、左手を腰に当てた姿はまるで威風堂々とした女王の立ち姿を思わせる。
「……警察、か?」
「違うわ。アタシは〈ケモノ使い〉と呼ばれている」
「ケモノ…使い?」
「そ。簡単に言うとオイタをするケモノを捕まえて、本来の飼い主に引き取ってもらう仕事をしているわ」
 自らを〈ケモノ使い〉と名乗った女はそう言うと、扉の前で動きを止める漆黒の化け物を一瞥した。
「あれが、ケモノ。そして、あのケモノの飼い主は――キミなのよ」
「!」
「自分が一番よく分かっているハズよ。あれが何であるのかを」
 ケモノ使いは、諭すように口を開く。
「――ケモノは、人の心が負った精神的損傷〈疵《キズ》〉が、外界に顕在化《けんざいか》した存在よ。痛みを抱えたまま生きるのは誰だって辛い。苦痛から逃れたいと思うのは必然。ケモノは、そんな逃避の意思《トリガー》によって、追い出された〈疵〉が形を変えたモノ。
 …キミの心を苛んでいる痛み、そのものよ」
「〈疵〉……」
 一弥は苦しげに顔を歪ませると、制服の上から胸を鷲掴みした。ケモノ使いの言っていることは理解し難かったが、〈疵〉という単語だけは一弥の心を深く抉った。
 〈疵〉とは――桐生を殺したことに他ならないから。
 一弥は、救いを求めるかのようにケモノ使いを見上げた。
「俺は…」言い淀む一弥に、アリシアは励ますように、優しく言葉を紡ぐ。
「キミの勇気は大したものよ。〈疵〉を自ら告白することのできる人間はそうはいない。
 キミがどれだけ足掻いても、過去を塗り替えることはできない。けれどキミは今、一つの勇気を示した。それは自身の〈疵〉に向き合い、その〈疵〉を克服していくことができる原動力となり得る。逃げるのではなく、立ち向かうのよ。そしてアタシは、そのお手伝いをしてあげられる」
「…」
 一弥は、自分の手のひらをじっと見つめた。桐生を撃ったときのあの感覚は今でも鮮明に覚えていた。忘れたいと思ったことは何度もある。だが、あの衝撃は体がけっして忘れさせなかった。そして、記憶も――。
 一弥は目を閉じ、力を込めるように手を握りしめる。衝撃を忘れるのではなく、刻みつけるように――。
「俺は…桐生の分まで生きたい」
 その短い言葉に込められた決意を感じ取ったケモノ使いは、満足そうに一弥に微笑みかけた。
「恐れることはないわ。ケモノはキミ自身。キミが〈疵〉と向き合うことを望むのなら、ケモノはそれに応える」
「…」
 一弥は静かに立ち上がると、ケモノに向かって足を進めた。不思議と恐怖は消え去っていた。
 そして、気づく。
 ケモノが扉の前から動かなかった理由を。その漆黒の体を、青白い光を放つ鎖が拘束していた。
 そして、弾けるような音が響くと、ケモノの体を束縛していた鎖が砕け散った。その様は、蛍が闇夜に舞う幻想的な光景を彷彿とさせ、一弥の緊張を和らげた。
「…ごめんな」
 一弥は、自分を威嚇するケモノに向かって、そっと手を伸ばした。
 ケモノは今にも噛みつかんばかりに牙を剥き出しにしていたが、一弥の指先がケモノの鼻先に触れた途端、ケモノは急に大人しくなると頭を上げ、クゥーンと一声吠えた。
 その叫びは、一弥の心に深く、深く浸透していく。
 現実を受け入れられず、自分がしてしまったことを否定しようと足掻いた、痛みから逃れるための逃避。
 ケモノの遠吠えは、一弥の嘆きそのものだった。
 それは間違いなく、自分の心の叫びだった。
 そして一弥は、桐生の最後の言葉を思い出した。心の奥底に追いやっていた、友人が最後に残したメッセージ。

『一弥、オレに関わったこと、後悔しろ』
 
 なぜ、桐生は自分に銃を向けたのか?
 そして、どういう意味でその言葉を自分に告げたのか?
 桐生の真意は何一つ分からないまま、考えようともせず、現実から目を背けていた。
 しかしケモノと対峙することで、ようやく一弥は一つの答えに辿り着いた。 まず、一歩を踏み出すことだと。

「――後悔なんて、してるわけない」