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５，その先に見えるもの

　翌日の緋武呂高校二年Ｃ組教室。空腹が思考を鈍らせる四時間目。生徒たちがまだかまだかと昼休みを待ち望みながらやる気のない授業を受けている。教室には一弥の姿もあった。昨夜の疲れを引きずっている様子はなかったが、どこかソワソワして落ち着きがない。一弥は、早く授業が終わってほしいとも、できれば終わってほしくないとも相反する想いを天秤にかけながら、右斜め前の席を見つめていた。その席の主、梶眞綾は朝のホームルームで顔を見せたきり、今日は一度も授業に出ていなかった。だが、机の脇には鞄がかかっているので、まだ学校にはいるはずだった。
　昨夜、梶は一弥に何も言わずにその場を立ち去った。一弥自身も梶にかける言葉を見つけられなくて、その後ろ姿をただただ見続けることしかできなかった。一弥のケモノが現れたことで話は中断されてしまったが、梶にはまだすべてを伝えきれてはいない。
　長く思えた四時間目の授業が終わると、一弥は自分の鞄から昼飯の入ったビニール袋を取り出して、教室を出た。相変わらず人目を気にしつつ、ある場所へと向かう。
　屋上には当然のように梶の姿があった。声をかけるのは少し躊躇したが、思い切って声をかける。
「よう、サボリ魔」
「おや、八クン。キミもサボリかね？」
　イタズラっぽく笑い返す梶に、一弥は内心ホッとした。拒絶反応を覚悟した一弥だったが、梶は予想に反して実に梶らしい人を食ったような返事を返す。
　一弥は、照れくさそうにビニール袋を前に突き出した。
「今は昼休みだっての。お前、昼飯食べてないだろ。これ、その…差し入れだ。色々迷惑かけたからな」
「いいの？ありがと」
　梶は遠慮がちに袋を受け取った。中には、サンドイッチが入っていた。小麦色に焼けたパンに、はみ出るくらいたっぷりとツナとポテトそして、レタスが挟んである。
「うわ、これはおいしそう」
　梶は嬉しそうに舌なめずりをした。喜んでもらえたようで、一弥は肩の力を抜く。
「遠慮なく食べてくれ」
「では…さっそく、いただきまーす」
　パクリ
　梶は豪快にサンドイッチにかぶりついた。口元にパンくずがつくのも構わず、黙々と食べていく。パンの合間からこぼれ落ちそうになる具を寸前で口に入れる姿は、普段のクールな印象からはまったく想像がつかない大胆さだった。
　あっという間にサンドイッチを平らげた梶は、口についたパンくずを指で拭い、舌で舐め取った。
「ごちそうさまでした。おいしかったぁ。これ、どこのサンドイッチ？」
　その見事な食べっぷりに見とれていた一弥は、「え…あぁ」と慌てて梶から視線を反らし、
「緋武呂駅の近くに葛ノ葉《くずのは》ベーカリーっていう小さいパン屋があるんだ。それは俺のお気に入りのツナとポテトのホットサンド。他にも沢山種類があって、どれも人気でさ、地元の有名な店なんだ。ちなみに学生だと割引になるサービス付き。平日限定で、制服着てるのが条件になるけど」
「へぇ、今度行ってみようかな」
　梶は興味深そうに頷いた。
　その後、二人の間でしばしの無言の時が流れる。
「……あのさ」
　一弥は、意を決して口を開いた。ここに来た理由は、雑談をするためではない。梶の想いを聞いておきたかったからだ。
「ん…？」
　梶の一弥に対する態度に昨日と今日で一見、大きな変化は見られない。だが、昨夜の一件で確実に、梶の中で一弥に対する評価は変わったはずだった。
　変わらないはずはない。
　だからこそ、聞くには勇気と、梶の返答を素直に受け止める覚悟が必要だった。
「…梶は、俺を許せるか？」
　ストレート過ぎるとは思ったが、他にどう言ったらいいのか分からず、玉砕覚悟で挑んでみる。
「ん〜」
　梶は、顔を俯けてしばし考え込み、
「どっちかというと、許せない」
　玉砕。
　だが、梶は「けど…」と続けて、
「ボクは、真実が知りたかっただけだから。キミを警察に突きだそうとか、復讐しようとかそういうことは考えてないよ。それに、なんだか謎も多いしね。この件は、桐生が死んだってだけでは片付けられないような気がしてるんだ。八クンもそう思わない？
　…そうだなぁ。ボクの当初の目的はクリアできたわけだから、次はまだ闇に包まれている桐生の死の背景を探ろうかな。きっとパズルはまだ一部分のピースが組み合っただけなんだよ。ボクは、すべてのピースがはまった完成形を見てようやく桐生の死を受け入れられる。ボクって、根はしつこいからさ」
　梶はあっさりと一弥を許すと、ニヤリと笑った。
　梶の言っていることはあくまで冷静だった。確かに今回の件は完全に解決したわけではない。桐生の死という点において一区切りついたという結果であって、不審な点はまだいくつも残っていた。
　黒スーツの存在。そして桐生の行動の理由。そこに、本当に明らかにしなければならない真実があるように一弥も感じ始めていた。　
「…俺は、自分のケモノを飼いながら、〈疵〉と向き合っていくって決めた。それは、言い換えれば桐生と生きるってことでもあると思う」
　梶と一弥、ともに手段は違えど行き着く先はきっと同じだった。
　ならば――
　一弥はあのあと一晩かけて考えたことを、思い切って口に出してみた。
「梶。もし良ければ、真相探しに俺も付き合わせてくれないか？お互い、自分の知らない桐生の一面を知っている。補完し合うことで見えてくるものもきっと、あるはずだ。あいつと分かり合えた俺たちなら、――きっと、見つけられると思うんだ」
　梶はしばらく驚いた目で一弥を見つめていたが、ふっと頬を緩めた。
「フフ…八クンって直球だね。桐生は、キミのそういうところが気に入っていたのかもね」
　一弥にかつての桐生の面影を感じた梶は、心の中で納得する。
　桐生がなぜ、一弥に心を許したのかを。
　梶は一弥に向けて、すっと右手を差し出した。
　一房だけ鼻筋に沿って垂れた前髪が、ふさりと揺れた。

「こちらこそ宜しく。――相棒」


end.