誰が為にケモノ泣く。Episode01『ある少年の告白』
4,ある少年の告白
梶の携帯電話に一弥からメールが届いたのは、六時間目終了直後のことだった。
本文には『話したいことがある』という短い文章と、待ち合わせ場所が書かれていた。
一弥が指定した場所はすぐにぴん、ときた。先日、一人で訪れたあの廃教会だった。どうやらそこはお互いにとって箕雲桐生と繋がっていた証ともいえる思い出深い場所のようだ。梶はクラスメイトの買い物の誘いを断って、逸る思いを胸に足早に学校を出た。
追い求めていた真実がようやく明かされるという期待の一方で、同時に知ることの恐怖も少なからず感じつつ――。
「――よう。梶、待ってたぜ」
雑木林に囲まれた廃教会の前で、一弥は扉に寄りかかるように立っていた。どこか疲れた様子だったが、梶の姿を見つけるとほっとしたような笑みを浮かべた。
「中に入ろう」
一弥は扉を開けて、梶はそのあとに続いた。二人の息づかいと、床を踏む靴音が静寂に包まれた教会内部に響く。
「この場所、分かっていたみたいだな」
「うん。桐生は小さい頃からここを気に入ってたから。ボクもよくここで一緒に過ごしていたよ」
「相当気に入っていたんだろうな。学校にいないときは、大抵はあいつここで過ごしていたし。…ここは、あいつにとって一番心安らげる場所だったのかな」
一弥は小さく笑うと、一転して辛そうに目を細めた。
「…さっきは、ウソついてゴメン。俺の知っていることを全て話そうと思って、呼び出したんだ。――辛いと思うけど、最後まで聞いてほしい」
「うん、お願い」
悪いな、一弥は文句の一つも言わずに受け入れてくれた梶に感謝しつつ、一つ一つ噛み締めるように話し始めた。
桐生との出会い。突然の桐生の失踪。一年ごしの緋武呂での再会について。
「驚いたよ。一年もまったく連絡がつかない状態だったのに、街中で偶然すれ違うなんてさ。無事だったことはとても嬉しかったけど…あいつは変わっていた。
いや、変わり果てていたって表現の方が正しいのかもしれない。再会したときのあいつは随分やつれていたし、意識もはっきりしていない感じで。なんて言ったらいいのかな……そう、人形みたいだった」
人形と話をしているみたいだった、と一弥はこぼした。当時のことを思い出しているのか、その目は困惑に揺れていた。
「けど、日が経つにつれて俺の知る桐生らしさが戻ってきたんだ。それでとりあえず一安心したんだけど…。ある日、寝泊まりしていたネットカフェで桐生が騒ぎを起こしたんだ」
一弥は直接その現場に居合わせたわけではないらしく店の人に聞いた話では、と付け加えた。
「相手はスーツを着た二人組で…そいつらは、桐生を探していたらしい。スーツの男たちと桐生の間に何があったのかは知らない。だけど…桐生はその二人組から逃げた」
一弥の話は詳細で、ウソをついているようにはとても思えなかった。だが、鵜呑みにするには疑問が多すぎて、梶は話を整理するのに少し時間がかかった。
「ちょっと待って…。スーツの二人組ってのは初めて聞いたよ。桐生のおかしな状態といい、追われる立場といい、桐生はなにかに関わっていた?」
首を傾げる梶に、一弥も首を振って、
「さあ、そこまでは。ただ、その話を聞いてようやく気づいたんだ。再会したときから感じていた桐生に対する違和感の正体を」
一弥は姿を消した桐生を探して、この廃教会にやって来た。なんのあてもなかったが、桐生ならきっとここに来るだろうと思ったのだ。
「――教会の前に、何があったと思う?」
一弥は辛そうに顔を歪めて、
「人が倒れていた。――白目を剥いて、口から泡を吹いて。…そいつは黒いスーツを着ていた。桐生を捜していた奴だと一目で分かった」
一弥はあえて、そのとき目撃した黒い影の化け物については口に出さなかった。言ったところで、ゲームに出てくるモンスターのような非現実的な存在を梶が信じるわけがないと思ったからだ。一弥自身も混乱していて何かを見間違えたのではないかと信じ切れないでいたせいもある。
「…桐生は、そこにいたんだね」
梶は、一拍間をおいて訊ねる。
「あぁ。…桐生がやったんだと思う。あいつは思った通り、教会の中にいたよ」
一弥はそこで一端口をつぐみ、蜘蛛の巣が張り巡らされた天井を切なげに見上げて、
「――あいつ、笑っていたんだ。恐怖を感じるような無感情な哄笑で、不気味だった。…今まで見たこともない別人みたいな、桐生の姿だった」
一弥は顔に疲れを滲ませつつも、梶に真実を、自分自身にけじめをつけるために気力を振り絞る。
だが、ここからは核心に迫る話になり、一弥にとって心苦しく、また勇気がいる行為だった。桐生の死を意識するほど比例するように激しくなる痛み。それは隠してきたことの当然の報いなのかもしれない。
「…あいつに俺の声は届かなかった。桐生は持っていた拳銃を無言で俺に突きつけてきた。どんなに声をかけても、桐生は聞いてくれなかった。
どうすれば桐生を止められる?
考えた結果が、桐生に拳銃を突き返すことだった。俺は足下に落ちていた拳銃を拾って、そして…。
これで思い止まってくれると思った。正気に戻ってくれると思った。
なのに…それなのにッ!!」
一弥は興奮気味に声を荒げると、一変して怯えるように頭を抱えた。
「俺は死にたくなかった!桐生を撃つつもりもなかったんだ。…ただ、止めたかっただけなんだよ…。それだけ、だったのに…」
自分は引き金を引いてしまった。友人を救いたいという願いがありながら、死の恐怖に負けてしまった。
「…八クン」
力なくうなだれる一弥には人を殺した絶望よりも、一人の友人を救えなかった後悔で一杯だった。
桐生を殺した張本人がすぐそばにいる。
だが梶は、一弥を一方的に咎める気にはなれなかった。
それは、同情――だったのかもしれない。一弥と梶、互いに桐生を想い、そして拒絶された。二人の境遇は似ていた。
それに、一弥本人も気づいていない彼が抱える秘密を、梶はすでに知ってしまっていたから――。
「ねぇ、八クン」
梶は、罪に苦しむ一弥にそっと囁きかけた。
「〈ケモノ〉って、知っている?」
「ケ…モ…ノ?」
一弥の震える唇がその名を紡いた直後、空気が一変して張り詰めた。
「――ッ」
全身が総毛立ち、得体の知れぬ恐怖が、一弥をがんじがらめにした。
なにかが自分を見ている。
誰だ。何者だ。その視線の正体を知りたいと思う一方で、知りたくない思いもまた浮上してくる。
クゥゥゥゥゥゥーン
「…!」
突然聞こえてきた獣の遠吠えは、一弥を嫌が否にも反応させた。
壊れかけた扉の前に、何かが立っている。
漆黒の体に、血のような深紅の眼がギラギラと光っていた。それは動物に似ていて、しかしどの類にも属さないフォルムをもった――化け物。
「…おまえは」
一弥は、思わず息を呑んだ。
ソレに似た化け物を一弥は見たことがあった。そう、桐生を追ってやってきた廃教会で遭遇したあの影のような化け物だ。
「なんで…?」
一弥の瞳が驚愕で見開かれる。
「――それは、ケモノよ」
教会内部に一弥のものでも、梶のものでもない第三者の声が突然、響いた。
「誰だッ!」
作品名:誰が為にケモノ泣く。Episode01『ある少年の告白』 作家名:いとこんにゃく