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いとこんにゃく
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誰が為にケモノ泣く。Episode01『ある少年の告白』

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3,ケモノ



 半年前。一人の少年が死んだ。
 その少年の名は、箕雲《みくも》桐生《きりゅう》といった。梶眞綾の幼なじみだった。
 いつ?どこで?死因は?
 なにひとつ明らかにならないまま、ただ『死亡』という二文字だけが梶の元へ届いた。
 ――久しぶりにあいつの嫌がる顔を拝みに行こうか。
 桐生のしかめっ面を想像してほくそ笑んだ直後のことだった。
 不仲な両親の軋轢の合間で苦しみ耐えるしかなかった当時の梶にとって、箕雲桐生は特別な存在だった。桐生は、辛い現実にも立ち向かおうとする勇気をもった少年だった。側にいるだけで安心感を与えてくれる、無力な梶の手をいつも文句を言いながらも引っ張ってくれていた。
 だが、ある日を境に桐生を取り巻く状況は一変し、桐生自身の心をも変えてしまった。
 自分を押し殺し、他人を拒み、無気力な少年に変貌してしまった。
 その原因を梶は両親から聞かされ、二度と接触をするなときつく言われた。しかし、梶はそれを無視し続けた。桐生本人にも拒絶をされながらも、彼の側にいることをやめなかった。
 桐生の根本は何一つ変わっていないと信じて。いつか、元の桐生に戻ることを切に願ってやまなかった。
 梶の中の桐生の記憶は、小学五年生の時点で止まっている。しかし、いくら年月が経とうとも、梶は桐生を忘れたことはなかった。
 初恋、だったのだろう。
 梶は桐生の死を知って、初めて自分の気持ちに気づいた。だが、もう想い人はこの世にはいない存在になっていた。永遠に手の届かない存在になってしまっていた。自分も死ねば、天国で会えるかもしれなかったが、梶はその前にしなければならないことに気づいた。
 桐生の死は、あまりにも曖昧だった。ただ『死んだ』という事実だけで、すべてを片付けられていた。明らかにするべきことは沢山あるはずなのに。
「箕雲桐生は死んだ。だから、早く忘れろ」まるで、なかった存在のような扱いだった。
 そんな不明瞭なままの死など、梶は受け入れられなかった。桐生の死を知って、誰か一人くらいその死亡原因に疑問を持ちそうなものだったが、誰一人疑問を口にする者はいなかった。
 それは皮肉なことに桐生が他人を拒んでいたように、周りの人間も桐生を同じ人間として見ていなかったからだ。まるで、化け物でも見るかのような目で桐生を見ていた連中の中、ただ一人、同じ人間として桐生を見ていたのは梶だけだった。
 梶に味方する人間は一人もいなかった。だから、梶は一人で桐生の死の原因を探ることにした。友人、家族、そして自分。すべて捨ててでも、桐生の死の真相を知りたかった。
 梶が衝動に突き動かされるままに調査を初めて数ヶ月。その執念の甲斐あって桐生の死に関わっていそうないくつかの情報を手に入れた。
 一つは、桐生が一年に渡って失踪していたこと。そして、死の直前に緋武呂に戻ってきていたこと。
 二つ目は、他人を寄せ付けなかった桐生が中学時代、唯一親交を持っていたという人物、八一弥の存在。
 桐生に友人がいるというだけでも信じがたいことだったが、桐生が緋武呂に姿を現した際、一緒に行動していたという情報を得たことで、暗中模索にようやくの一筋の光が差し込んだ。
 躊躇いはなかった。
 緋武呂高校への転入も、二年C組への編入も、すべては八一弥に接触するため。好意的に接していたのも、早く打ち解けて本人の口から、彼の知り得る桐生のすべてを聞き出したいが為だった。
「悪女だよねぇ…ボク」
 梶は自嘲の笑いをもらすと、手に持ったスマートフォンを操作した。書きかけで保存しておいたメールを開き、彼宛てに送信する。
「さて、準備は完了。きっかけは作ったし、あとはどこまで聞き出せるかな」
 梶は期待を滲ませた瞳で、改めて廃教会内部を見回した。
 桐生との思い出が唯一その形を変えずに残る場所――。街灯も届かない、ただ星と月が放つ淡い光に照らされた室内は現実と幻想の狭間にいるかのような錯覚を抱かせる。桐生が、すぐそばにいる感じがする。
「桐生ならきっと『余計なお世話だ』って言うだろうね」


 それからしばらくして、梶は廃教会を後にした。林に囲まれた薄暗い夜道を一人歩く。車の通りも少ない。心細くはなかったが、等間隔に設置された電灯が足下を照らすたびになぜだかほっとした。
「――ん?」
 不意に梶の足が止まった。近くで、車が急ブレーキをかけた音が聞こえたのだ。
「事故…?」
 梶は眉を顰め、そして、次の瞬間には音がした方角へ向かって走り出していた。
 一台の車が、林に頭を突っ込んでいた。路面にはブレーキをかけた跡が白い軌跡を描いている。運転席のドアは開いていた。だが、人がいない。辺りを見回していると、どこからか人の呻き声が聞こえてきた。林の中からだ。
「……」
 梶は、ごくりと息を呑んだ。なぜだか、得体の知れない恐怖を感じる。しかし、心の反応に対して、梶の身体は動いていた。
 鬱蒼とした林の中に足を踏み入れる。
「うぅ…うあぁ」
 呻き声は、段々とはっきり聞き取れるようになってきた。それにつれて梶は警戒心を徐々に強めていく。
 すると獣らしき唸り声が、うめき声に混じって聞こえてきた。

  クチャ クチャ

 何かを咀嚼しているような音まで聞こえてくる。
 あまりに不気味で不快な音に身体が身震いした。それでも、梶は近づくことを止めなかった。音の正体が何なのか確かめたいという好奇心が恐怖に勝っていた。
「――ッ!」
 ようやく視界に音の正体を捉えた梶は、言葉を失った。
 梶の視線の先には、泡を吹いて倒れる作業着姿の男性がいた。
 そして、その上に馬乗りになっている――闇よりなお濃い、漆黒のシルエット。
 人、ではない。かと言って、獣とも言い難かった。

グゥルル

 呆然と立ちつくす梶に気づいた漆黒のシルエットがもそりと動く。
 梶にむかって首をもたげたソレは、動物の犬に似た形をしていた。
 ぴんと尖った耳と突き出た鼻。すらりと伸びた四肢。左右に揺れるゆったりと膨らんだ尻尾。
 だが、その全身を覆うのは体毛ではなく、墨のように塗りつぶされた黒。陰影はまったくない。影絵を立体的にしたらこのような姿になるのだろうか。のっぺりとしていて、質量を感じさせないまるでゲームに出てくる魔物のような不可思議なフォルムをしている。
 そして、もっとも特徴的であったのは、化け物の頭に当たる部分に輝く――血を連想させる深紅の目。
 それはとても非現実的で、醜悪な姿をした化け物だった。
 その目に睨まれた途端、全身を無数のナイフで刺し突かれたかのような殺気が梶を襲った。
「うぐっ」
 未だかつて味わったこともない殺気は、梶の身体を硬直させるには十分だった。一瞬で、足は鉛のように重くなり、警鐘を鳴らしていた脳は麻痺してすべての思考を受け付けなくなった。
 化け物は梶を威嚇するように口を大きく開けた。
「!!」
 そして次の瞬間、化け物は梶目がけて、一気に跳躍した。
 刃のような剥き出しの牙が梶の眼前に迫る。
 ――喰われるッ!!
 そう感じた直後――
 
「動かないで!」

 声が聞こえた。
 立ち竦む梶のすぐ真横を青白い閃光が突き抜けた。衝撃で、髪が勢いよくさらわれる。