マーカー戦隊 サンカラーズ
そしてひとしきりそうしたかと思うと、気が済んだのか紅太はアコーディオンを抱え、男に向かって差し出す。
「ね、おじさん。何か一曲弾いてよ」
「えぇ? あー……そうだな。じゃあ――」
「――お父さん!!」
そこへいきなり背後から声をかけられて、三人はびっくりして振り返った。
視線の先では、一人の女がこちらに向かって歩いてくる。
「おや、母さん……」
「もう、またこんなところで。倒れちゃっても知らないわよ?」
そしてそれに答えた男に、どうやら彼の妻らしい女は快活に笑って見せた。
しかし女は三人に気付くと、明るい笑顔のまま不思議そうに三人の顔を見る。
「あら? こちらは……」
「いやぁ。もう、さっき倒れてしまってね。彼らが介抱してくれたんだ」
「倒れたの!? ちょっと、やだ……」
それを聞いて、女は慌てて男の様子を確かめると、多少顔色が悪いこと以外に以上がないことを確かめた。そして改めて三人に向かい、申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさいね、うちの人が」
「あ……いえ……」
「もう、信じられない! まだ顔色が悪いし、はやく帰らないと。また倒れても大変だわ」
夫に比べてずいぶんせっかちな調子で、女は男の荷物を手早くまとめると、慌しく男を促した。
「しかし母さん、助けてもらったのに礼もしないなんて……」
しかし男の方はのんびりとした動きのまま、それでも素直に腰を上げて妻の顔を見下ろす。
その言葉に驚いたのは良介たちの方で、三人は顔を見合わせると慌てて両手を振り、首を横に振った。
「いえ! あの。本当に、もう帰った方がいいですよ。ちゃんと休んだ方が」
「でも……」
まだ気にした様子の男へ、紅太が閃いたようにてのひらを叩く。
「あ、じゃあさ! また今度でいいから、何か聞かせてよ。俺、聞いてみたい!」
「?聞かせてください?!!」
「はいっ! 聞かせてクダサイ!!」
訂正する良介に素直に従い、おまけに挙手までした紅太に、夫婦は一瞬驚いたように目を見開く。
しかし顔を見合わせると、目元を緩め、いかにも楽しげに笑い出した。
「ぷっ……ふふふ。あははは! ああ、わかった。約束だ」
「やった!」
「紅太!!」
受け入れられてから、やっと遠慮するべきポイントに思い至り、良介は慌てる。
「あの、すいません。無理だったら……」
「無理だなんてとんでもない。そう言ってもらえて嬉しいよ」
しかし男は良介の遠慮に笑顔で首を横に振り、本当に嬉しそうな様子でそう請け負ってくれた。
「ありがとう。君たちは、お父さんの命の恩人だわ」
そして妻の方にもそう言われて、良介は何と言ったらいいのか分からなかった。とはいえそこまで言われれば固辞するわけにもいかず、大人しく口を閉じる。
「じゃあ皆さん、また今度」
「はい」
「じゃあねー!」
そしてそのまま穏やかな表情で立ち去る夫婦を、三人は見送った。
「もうお父さん、あんまり心配かけないでよ」
「ああ、すまない」
少し怒ったような妻の言葉に、心配をかけたのだと思うと申し訳なくて、男は素直に謝る。
そして妻は振り返ると、男の隣に並んでその顔を見上げてきた。
「……いい子たちだったね」
「ああ、そうだね」
互いに笑い合い、じゃれるような彼らの会話を思い出す。
「何か聞かせてください、か……いいなぁ。なんだか思い出しちゃった。お父さん、プロポーズの時にもアコーディオン、弾いてくれたんだっけ」
「そうだっけ?」
「そう! なんてキザなことするんだろうって、びっくりして。でも、嬉しかったなぁ……」
懐かしむような妻の声に、男もわずかに目を伏せて昔を思い出す。思い出の中の妻は今よりずっと若くて、可愛らしい印象が強かった。
ふと、妻が足を止めたことに気付いて、男も足を止める。
しかししばらく待っても、妻は一向に動き出さない。
「……母さん?」
どうしたのかと手を差し伸べた瞬間、ゆっくりと妻の体が倒れていった。
その光景がスローモーションで目の前を流れていき、男は頭の中のどこかが、彼女を受け止めろと指示を出しているのに気付いた。
けれど荷物を担いだ体は、思うように動かなくて。
「母さん……おい、利江子? 利江子!?」
地面に横たわった妻の体を見下ろし、男の思考は突然の危機に混乱の渦に巻き込まれていった。
――そしてその様子を、長い黒髪の女がじっと見つめている。
その次の講習の日。
「へー、あのおじさん、プロになるのが目標なのか」
偶然講義が始まる前の時間に顔を合わせることになった三人は、揃って参考書片手に宿題を片付けていた。
「すごいね。だってあのおじさん、ちゃんと働いてるんでしょう? なのに夢をずっと忘れないなんて、大変なことだよ」
それにしても、と清夏が宙を見上げ、懐かしむように顔を綻ばせる。
「将来の夢かぁ……そういえば私も、小さい頃は宇宙飛行士になりたかったなぁ」
「宇宙飛行士!?」
「意外だな……もっとこう、ケーキ屋とか、そういうのかと思ったのに……」
清夏の思わぬ発言に、紅太も良介も驚きの溜息をついた。
「え? へ……変、かな……?」
「いや、別にそういうんじゃねーけど」
「そうそう! 変じゃないよ、べつに」
そういうフォローの仕方は、まるで?変だ?と言っているように聞こえるものだけれど。
清夏はこっそり、もう子供の頃の夢は人に話すまいと、心の付箋にメモをした。
「じゃ、亘くんは?」
「へ? 俺?」
「うん。小さな頃の夢とか……」
清夏の話に、紅太は笑うとぱたぱたと手を振って見せる。
「ああ、俺は無いよ。小さい頃のこと、覚えてないから」
さらりと聞かされるには少々衝撃的な言葉に、清夏は驚いて目を見開いた。
「え……?」
「俺さ、小学校の時に交通事故に遭って。その時に、それより前の記憶が全部なくなっちゃったんだよね」
気軽な調子で言う紅太に、逆に反応に困ってしまって、清夏は口ごもる。
「だから小さい頃の話とか全然わかんないんだ。ごめんな」
しかし紅太は気軽な調子を崩さず、まるで理科の問題が難しくて分からないと白状するような口調で詫びた。
「う、ううん! 私こそ……ごめんなさい」
「なんで? 謝ることじゃないだろー?」
しかしいくら紅太の方が気軽にしていても、清夏の方はどうし反応したらいいのかわからない。そして紅太はこういった反応に慣れているのだろう、そのままの軽い調子で改めて口を開いた。
「事故してからしばらく入院してたんだけど、退院してからずっとリハビリしてさ。中学校に上がった時に、俺の世話係ってことで良介に会ったんだよ。ホラこいつ、こんなだけどクソ真面目だろ? それで」
「こんな風で悪かったな」
「そうなんだ……」
それで話はおしまい、とばかりに、紅太は大きく欠伸をすると、腕を伸ばして首を回した。
「でも、将来の夢か……俺はなんだろ。正義のヒーローとか?」
〈だったらすでに叶ったようなものだな〉
「ごふっ……」
「藍川くん……?」
思いもよらないところからのコメントに、良介が噴き出す。
そこへなにか耳慣れない音が聞こえた気がして、紅太はあたりを見回した。
「ん? あれ……なんか聞こえる?」
作品名:マーカー戦隊 サンカラーズ 作家名:葵悠希