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　ようやく思い至ったのか、紅太がぼんやりとつぶやく。
　それを聞きつけた女子生徒は嬉しそうに目を輝かせると、拝むように紅太に向かって両手を合わせた。
「ね、亘くん。お願い！！」
　しかし紅太からの返事はない。
〈紅太？　おい、起きろ〉
「……無駄だ、寝てる」
「えー！？　……ちぇ。ま、いっか。ねー、誰か今日発売のトントン持ってる人いるー？」
　応答をよこさない紅太に興味が逸れたのか、拝んでいた女子生徒は背を向けると、そのまま他のクラスメイトのところへ行ってしまった。



　ボイスレコーダーを止めた記者が、さも嬉しそうな表情を浮かべて深く頭を下げる。
「佐渡先生、どうもありがとうございました。いい記事を書かせてもらいますよ」
「ええ、よろしくお願いします」
「佐渡先生。次の時間が……」
　マネージャーに言われ、席を立つ。最近必要にかられて雇った彼女はひどく愛想のない人間だったけれど、自分に取り入ろうと画策するような煩わしい相手に比べればずっといい。
　編集部の応接室を出て、廊下を歩く。
「佐渡さん！」
そこへ背後から聞き慣れた声に呼ばれて、鎮華は足を止めた。
　振り返って見れば、鳴かず飛ばずの頃から馴染みのプランナーが、こちらへ小走りに寄ってくる。
「あら、どうしたの？　ずいぶん慌てて。来週のディナーパーティーの準備はどう？」
「それは順調よ。そうじゃなくて……ちょっといい？」
　言ってマネージャーにも視線をやる相手に、ならうように自分も視線をやる。
　従順なマネージャーは手帳と時計を確認し、手帳を閉じた。
「十分ほどでしたら、なんとか」
「ですって」
「わかったわ。そうね……ちょっとこっち来て」
　促されるままついていくと空いた会議室に入るようにいわれ、素直にそれに従う。先に入って振り返ると相手はこわばった顔でドアを閉めていて、その焦った様子に鎮華は軽く笑って見せた。
「どうしたの？」
「どうしたの、じゃないわよ。あなたこそどうしたの？」
「あら、何がかしら？」
「あなたの作品よ！」
　その叫ぶような声に、わずかに目を伏せる。
「……鎮華の作品のイメージ、ずいぶん変わったのね」
「そうね。それが？」
「オリエンタル・レトロ。その作風をずっと貫いて、やっとあなたのカラーが見えてきたのに……こんなこと言いたくないけど、最近のあなたの作品は何！？」
　怒っているのか、一度落ち着かせた相手の声がだんだんと上擦って掠れていくのを、なんだか他人事のようだった。そう思うとなんだかおかしくなって、鎮華は唇の端がつり上がるのを感じた。
「ノンポリシーもいいとこだわ。ただ流行を追いかけて、売れそうなものを模倣してるだけじゃない！　あんなの――」
「でも、あなたがそうしろって言ったのよ？」
　鎮華の言葉に、相手は打たれたように動きを止めた。
「え……？」
「自分の作風にしがみついてるだけじゃ仕事はこない。売れないと。そのためにはもっと柔軟になって、積極的に流行を取り入れなさいって」
　忠告された言葉をなんとか飲み下して、取り入れて。
そしたら相手の言うように、鎮華は成功した。
「あなたには感謝してる。だってその通りだったもの」
　そう感謝を述べているのに、相手は目を見開いたまま必死で首を横に振る。
「待って、そういう意味じゃ――」
「ポリシーなんて、持っていたところで何の役にも立たなかったわ。教えてくれてありがとう」
「鎮華！！」
　相手の横をすり抜け、部屋を出て行く。
自分を呼ぶ相手を振り返ることも忌々しくて、鎮華は足早にその場を去った。
　その背後に赤い髪の少女がいたことに、気付かないまま。



　その日の学校の帰り道、今度は清夏も交えての――強硬な良介の反対に遭ったものの、それを押しのけての――ＤＶＤ鑑賞会が決定した。
そのため続編のＤＶＤを借りてこようと、寄り道がてら皆で商店街に足を向けたのだが。
「うわー……」
「なんだこれ……？」
　商店街は見渡す限りの人であふれていて、三人は入り口で足を止めた。元々廃れてもいないがはやってもいない、観光客向けというよりは近隣住民向けの商店街なのだが、なんでも雑誌に掲載されていた商品が唯一売れ残っていたとかで、こんな有様になってしまったらしい。今朝誘ってきた男子生徒もおそらくこの中にいるのだろうと思うと、呆れるより先に感心してしまう。
〈すごいな、これは〉
「どうしよう、亘くん？　これじゃあ見たいＤＶＤ、ないかもしれないね」
「うーん……とりあえず、見に行ってみるよ」
　それでも紅太の中に諦めるという選択肢はないらしく、果敢にも単身人ごみの中を掻き分けていった。
　その様子を遠目に眺めていた良介だったが、不意に道に転がったラックに目を引かれて、そちらへ顔を向けた。
バス停を降りてすぐの場所に転がる、中身のなくなったそれ。
〈良介、あれじゃないのか？　今朝、清夏が話していたのは〉
「関口。これか？　今朝言ってたラックって」
「うん。朝より酷いけど……」
「あーあー。酷ぇなあ……」
　なんとなくそばに行ってそれを起こし、道の端に寄せる。踏みつけられたのかボロボロになったラックは、塗装が剥げてところどころ錆始めていたけれど、こうなる前はおそらくここまで酷くはなかったのだろう。
「おーい！　借りられたぞ、?高速回転トライセコー?八巻！！」
　そうしていると背後から元気のいい声が聞こえてきて、良介と清夏は振り返った。
「……あったんだね……」
「本当に最高なのかよ……？」
　皆が借りないＤＶＤが、果たして本当に面白いのかどうか。
つい、これまで紅太が消費したであろうレンタル料やら時間やらを頭の中で計算してしまい、良介は無言でこめかみを押さえた。

「ただいまー！」
「こんにちは。お邪魔します」
「えと、お邪魔します……」
　いかにもこわごわといった風の清夏の声を疑問に思ってだろう、居間から玄関を覗き込んできた紅太の姉が、三人の姿を見て顔を綻ばせる。
「あら、いらっしゃい。今日は女の子も一緒？　ごゆっくり」
「あれ？　姉ちゃん早いね。どしたの？」
「うん。ちょっとね」
　しかし一瞬その顔を曇らせたかと思うと、それをごまかす様に居間に引っ込んでしまった。
「姉ちゃん？」
「紅太、お菓子準備しとくから。あとで取りに来なさい」
　声音だけは明るく、顔を出さないままそう告げる。
「お姉さん、どうかしたのかな……？」
「うーん……」
　その態度を疑問には思ったものの、それ以上追求することもできずに、三人は大人しく紅太の部屋へ向かった。



結局その日の夜には一人で再度ＤＶＤ鑑賞会をしてしまい、紅太は寝不足の頭を抱えてとぼとぼと通学路を歩いていた。
「うー……ソレーユ、朝日と一緒におはようございますってさぁ……早いよー……」
〈遅刻しなくなってよかったじゃないか〉
「そりゃあそうだけど……」
　ソレーユが乗り移るようになってから、どうやら超朝型人間らしい彼のせいで、異様なほど朝早く起こされてしまうから困ってしまう。遅刻をしなくなったというのはたしかにいい傾向かもしれないが、この分だと倒れるのは時間の問題だと紅太は肩を落とした。ＤＶＤ鑑賞をやめるという選択肢はやっぱり無い。