ブローディア春
よくわからないうちに江差が消えて、かわりに石間が俺の腕を掴んだ。
目の前の職員室の扉が開いて誰かの足が出て来た映像だけ見えたけど、やっぱりどういうわけか気付いたら違う場所にいた。
床の色からして、3階。階段上った覚えはないけど。
「ハァ、ハアッ」
「石間」
石間がかついだとか? まさかな。
「二年生の階ってうるさいだろ」
「ああ」
「だから喋ってても大して響かない」
「といいつつも特別教室側に行くんだな」
「まあね」
「走った方がいいか?」
ぼそぼそ話しながら、俺はずっと石間から顔を背けていた。
女々しいったらありゃしない。変な頭を見られたくなくて、ああ、劣等感というやつかも。
「石間たちがやるとカッコいいのにな」
「なにが」
「え、なにが?」
「俺たちが、なに」
声に出してたのか。
廊下の壁から飛び出した消火栓の脇に2人でくっついて座る。ぜんぜん隠れてないけど、それが死角というものだと石間は言った。なんかちょっと違うような気もする。
とっくに180センチを越えている石間の体は大きくて、標準体型の俺がたいそう貧弱に思えた。
ため息をつく。なんでサボっているんだっけ。
「木野さ」
「なに」
「やっぱりカッケーな」
だから、劣等感とかいうのを刺激しないで欲しいんだけど。とは言えない。
「みんな、木野が3年生にして掴んだ高校デビューだって言ってた」
みんなというのは、クラスの3分の2を占める騒がしいやつらのことだろう。
ただ、髪の毛が上を向いたというだけで。石間の真似したとか思われてるのかな。わきまえろっていうかさ。それを暗に含んでいて、石間はそれに気づかないようにしてるんだろ。というのが普通の感想なはずだ。
情景を思い浮かべるのも面倒で、あいまいに返事をしておく。
「でも俺はさ、前から知ってたから」
「何を」
「カッケーのも、前髪上げたらいい感じなのも。だから今更そんなんで騒いでるやつ、ザマーミロって感じじゃん」
「そうか」
そうなのか。石間ってけっこう俺のこと見ているらしいことが嬉しい。
俺も見ているし。二年生の時のあの頃から。
「じゃあどうして石間は不機嫌なんだ」
思い切って石間の方を向いて聞いてみた。石間はずっとこちらを見ていたのかもしれない。はじかれたように正面を向いて、ゆっくりと俺に目を合わせた。
目を離せなくなった。石間は怒ってもいないし笑ってもいない。ザマーミロっていう顔でもない。
「得意のやつ」
「?」
「やきもち」
「誰に?」
「やきもちじゃない」
「じゃあなんだ」
「独占欲」
「ど く せ ん よ く」
言葉にしてみて後悔した。すごい言葉だ。独占したいという欲。よ……欲……。
「木野、そこへらへらするところじゃないと思うぞ」
「悪い。嬉しかった」