ドーナツが世界にあふれる朝
「そして」タカユキさんは続ける。「このドーナツの穴は決して食べられることは無く、凝縮されたアイデンティティであるから風化することも無く、もちろん僕らの目には見えない訳だけれども、確実に世界を覆って行くんだ。当然水にも溶けないから、もしかすると僕らのまわりは、もうかなりの数のドーナツの穴で溢れ返っているのかもしれない。僕らが気づかないだけでね。この先僕たちはドーナツの穴の海で生まれ、ドーナツの穴の大地で暮らし、ドーナツの穴の中で死んで行くことになる。だけど大抵の人間はそんな事には気づかないで暮して行くんだよ。これって不思議でちょっと悲しい事だと思わない」
タカユキさんはコーヒーカップをぐるぐると回して、すっかり溶けてしまったドーナッツをコーヒーと一緒に美味しそうに飲み干した。
わたしはドーナッツの穴で埋め尽くされた世界を想像してみた。それは常に甘い香りが漂い、少しばかり暑苦しそうで、あまり気持ちの良い世界ではなさそうだった。
そしてわたしはにっこりと笑みを浮かべて言う。
「ねえ、今夜はマカロニグラタンを作ろうと思っていたのだけど、ラザーニャにした方がよさそうね」
おわり
2007.05.18
作品名:ドーナツが世界にあふれる朝 作家名:郷田三郎(G3)