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舞うが如く 第五章 16~18

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舞うが如く 第五章
(18)白旗を縫う


 八月二十九日の長命寺での激戦ののち
会津側は、融通寺町口、川原町口、花畑口などを確保しました。
これにより鶴ヶ城内から郭外へは、ほぼ自由に
出入りできるようになりました。



 政府軍側は、これらの出入口も制圧して、
包囲網をさらに縮めるべく、九月十四日よりの総攻撃を開始します。
さらにこの時期に至ると、奥羽越列藩同盟の各藩が
続々と降伏をしはじめたため、会津藩は全くの
孤立状態に陥ってしまいました。


 さらに九月十七日における城南での戦いと、
続く十八日の、政府軍による高田攻撃戦によって、
鶴ヶ城と外部との連絡路は、
ついにいっさいが遮断をされてしまいました。



 これらにより
食糧と武器弾薬の補給が、ついに途絶えてしまいました。
この頃になると藩士たちの脱走も、目立だちはじめます。
鳥羽・伏見の戦い以来、会津軍の戦死者は慨に二千九百七十七人を数え、
城下の三分の二が、焼け野原に変わってしまいました。


 ことここに至った会津の軍事局は、
藩主・松平容保の生命を保障するという、政府軍の申し入れを受けて、
ようやく降伏を決意しました。
九月十九日に、手代木直右衛門・小森一貫斉・秋月悌次郎を、
塩川村に進軍していた、米沢藩の陣営に派遣をしました。
米沢藩を通じて、土佐藩へ正式な降伏の意向を伝えます。



 城内にあった白布は、籠城ひと月余りの間に、
すべてが、負傷者の包帯用などとして使い尽くされていました。
婦女子達は、二十一日の晩に寄り集まると、白布の断片をかき集め、
涙ながらに縫い合わせてやっと白旗を作りあげます。


 そして、翌九月二十二日の朝十時、
その白旗が、北追手門に掲揚されました。