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『喧嘩百景』第3話日栄一賀VS緒方竜

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 一賀の色白で細いすらりとした指の、女の子たちのように綺麗に生えそろえた形のいい爪が、竜の手首に食い込んでいた。
 血が滲んで滴り落ちる。
 ――最悪。その意味が竜にも漸(ようや)く理解できた。彼には生身の人間の身体を傷つける時のいやな感触に対する遠慮というか躊躇(ためら)いがないのだ。――刃物だとか何だとか、凶器を使わず素手でそれができるなんて。
 何ちゅう性悪や。
 竜は力任せに一賀の手を振り解(ほど)いた。
 手加減しないといった竜でさえ、相手を殴るときには僅かに加減はしている。それは意識的なものではなくて、相手を傷つけまいとする無意識のものだった。ちょいと痛い目を見せる以上に傷つける必要がないからだ。骨が折れたり肉が裂けたりする感触は決して気持ちのいいものではない。それを避(さ)けるための遠慮が力をセーブさせる。
 この華奢な一賀がこれだけの力を出せるのはその躊躇いがないからなのだ。
 「竜、お前は人が良すぎるんだよ」
 一賀は血の付いた指を少し舐めてみて眉を顰めた。
 「あんたみたいな性悪でのうて結構や」
 竜は左手首の血を振るってもう一度一賀に殴りかかった。
 相手の正体は分かった。
 それ相応のやり方をさしてもらう。
 肋の一本や二本は覚悟してもらわんと。
 竜は一賀に捕まらないように続けざまに攻撃した。――捕まったら何されるかわからへんからな。
 しかし、最初は五分以上に竜の攻撃を受けていた一賀も、竜の体力にものを言わせた無茶苦茶な攻撃に、次第に肩で息をするようになってきた。
 ――喘息持ちっちゅうんは、ほんまなんか?
 やっぱ、身体は弱いんか。
 なら。
 彼の強さから言って、殴られることには慣れていないと竜は踏んだ。傷つけられることには慣れてないはずだ。
 竜は馬鹿力と体力にだけは自信があった。打たれ強いということも彼の常勝記録を支えていた。
 一発や。一発当てりゃあええ。
 それで片付くはずや。
 竜はタイミングを計り、力を溜め、渾身の一撃を一賀の腹に叩き込んだ。
 が。
 竜の拳は一賀には届かなかった。
 「やめないかっ」
 声と同時に二人の間に薫が割って入った。
 竜の腹に蹴りを入れ、一賀の両腕を掴んで引き離す。
 「一賀っ!何やってるっ」
 薫が怒鳴りつけると一賀はそのまま糸の切れた人形のようにがくんと後ろへ仰け反った。