舞うが如く 第五章 10~12
舞うが如く 第五章
(11)甲賀町郭門の戦い
八月二十一日。
母成峠の陥落の夜から降りはじめた雨は、
二十三日に至ってもまだ晴れやまず、秋の小雨は降り続いていました。
政府軍は既に昨夜のうちに、戸ノ口原の入口を制圧して、砲音は、
ついに城下にまで響きわたるようになりました。
藩主・容保が、滝沢峠下の防禦陣地を引き揚げて、
僅かの側近と共に、甲賀町口郭門(くるわもん)に到着したのは
午前九時をすこし過ぎた時間のことでした。
容保が、わずかな兵たちと共に自らここにとどまり、
この関門(廓門)を確保しようと、陣頭に立って指揮をふるいはじめます。
周辺に在宅していた老人たちが、おのおの手槍をなどを引提げて、
続々とこの門に集まってきました。
この時点で会津の主力部隊のほとんどは、
国境周辺に配備していたために、
城下に残っていたのは、老人や婦女子、予備部隊の白虎隊と
藩主を守るためにわずかに残った若干の警備兵たちばかりでした。
藩主を城内へと戻した守備隊が、廓門を堅く閉ざしてしまいました。
押し寄せる政府軍の迎撃に備えて、
門を閉ざした状態でさらに警護を強化しながら
防御のための態勢を整えはじまます。
一方、城外の藩老・田中土佐は、一隊を指揮しながら、
滝沢村周辺で敵と戦いながら蚕養町口まで後退をしてきていました。
ここで残兵たちをかき集め、
敵を食い止めようと陣形を整えにかかります。
この時点で、敵の一隊が慶山下を迂回して
東方より城下に迫ろうとしていました。
もう一隊が、中村町と同心町を抜けてさらに勢いに乗って城下へ
なだれ込もうとする様子も見えました。
このままでは、敵兵に背後から突かれるという
危険が見えてきました。
これでは危険だと見てとった田中が手兵を集めると、
半数を六日町口郭門へと走らせ、
本人は甲賀町口郭門へと駆けつけました。
作品名:舞うが如く 第五章 10~12 作家名:落合順平