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舞うが如く 第五章 6~9

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 八月二十日になると、伊地知・板垣の両参謀に率いられた
薩摩・長州・土佐・佐土原 ・大村・大垣の六藩の兵、約3000人が、
会津総攻撃の行動をおこしました。
石筵(いしむしろ)を経て、母成峠から若松に至る
総延長六十キロ余の進進を開始します。
またこれとは別に、300人余の別動隊が編成されて、
熱海の東方三キロの横川村から、
中山峠を進撃するかのような陽動作戦もとられました。


 これに対し、石筵・母成峠を守っていたのは
大鳥圭介の率いる伝習隊(旧幕府歩兵)の400名余りです。
これに会津兵や新選組、二本松の残兵などを加えてもその総勢は、
わずかに800名余りにすぎません。
まず会津兵の一部が二本松から母成峠にさしかかる、
伊達路の山入村で迎撃をしましたが、
圧倒的多数の政府軍に猛攻されて、
やがてじりじりと後退をはじめました。



 翌二十一日になると、
政府軍は、早朝からの総攻撃に転じました。
東側の伊達路には、土佐と長州の連合軍が配置され、
中央の石筵口には、土佐と薩摩、長州、佐土原、大垣らの主力部隊が当り、
さらに西側の間道へは、薩摩と大垣の選りすぐりの
隊士たちが派遣をされました。
三道に別れた政府軍は、夜明けと共に、
それぞれが、母成峠の山頂めがけて
前進をはじめました。



 西に回った突撃用の精鋭たちが、
石筵の農民たちが退却中の会津兵たちに村落を焼かれたことで、
恨んでいることを聞きつけました。
数人の村民たちを道案内として確保すると、
山葵沢の間道とけもの道を上手に伝って突き進んだ結果、
首尾よく守備軍の懐中へと躍り出ることができました。
油断していた守備隊の側面からの攻撃は、大成功をおさめます




 午前十一時頃になると、
三つある砲台が政府軍によってすべて制圧をされてしまいます。
大鳥圭介の本陣も、地元の農民たちの手によって
すべて焼かれてしまいました。
3方向からの総攻撃と、農民たちの逆襲にあった守備隊は
寸断されて散り散りとなり、
ついに猪苗代方面へと敗走を始めました。


 大鳥圭介は、敗兵を叱咤しながら必死に戦いますが、
隊士たちは転戦の疲れで戦意にも乏しいため、
なかなか反撃するまでには至りません。
さらに退却を重ねながら、民家に火を放ちつつ次の防衛拠点でもある、
猪苗代城方面へと後退を続けます。


 しかし、唯一の頼みとした
猪苗代城は自ら陥落をしてしまいました。
城代の高橋権太輔が、城と土津神社にみずから火を放つと、
敵と対峙をする前に、いち早く退却を決め撤退をしてしまいました。

 会津藩国境での最初の攻防は、こうしたもろい抵抗のまま、
その一角が、ついに破られてしまいました。
国境を見事に突破した政府軍はその勢いに乗ったまま、
若松の城下へ目標を定め、短期決戦をめざして、
その総突撃をついに開始をします。