舞うが如く 第五章 6~9
舞うが如く 第五章
(7)母成峠(ぼなりとうげ)
二本松の落城をきっかけにして、
侵攻を強めた政府軍は、会津の南部を完全に掌握してしまいました。
さらに本拠地である若松城下への突入の機会を窺っています。
当初の会津討伐作戦では、
「枝葉を刈れば、根幹はおのずと枯れる」という見解でした。
会津藩を取り巻く諸藩をまず平定してから、 次第に会津包囲の輪を
縮めて行こうとするものでした。
だが板垣退助が、この意見にはまっこうから反対をしました。
「根幹を抜かば、枝葉は憂うるに足らず」として
降雪前の会津総攻撃を、断固として主張して譲りません。
その理由としては、会津藩の主力が
その兵力を分散し、同盟諸藩と共に国境の外で戦っているために、
国内が手薄になっていることをあげました。
一気に国境の防御線を突破して若松城を陥し入れてしまえば、
枝葉である諸藩は、おのずから降伏して奥羽一帯は
平定できると力説をしました。
また南国出身の兵が多いという政府軍では、雪の降る冬季の戦いでは
不利となるという見解から、早期の決着を強調しました。
こうした経過を経ながらも、早期決着を急ぐ
侵攻の道が周到に準備され、さらに詮議が重ねられました。
その結果、比較的手薄とみられる「母成峠(ぼなりとうげ)」から
猪苗代へ抜け、さらに若松城下に迫るという、湖北口方面からの
侵攻作戦が決定をされました。
(7)母成峠(ぼなりとうげ)
二本松の落城をきっかけにして、
侵攻を強めた政府軍は、会津の南部を完全に掌握してしまいました。
さらに本拠地である若松城下への突入の機会を窺っています。
当初の会津討伐作戦では、
「枝葉を刈れば、根幹はおのずと枯れる」という見解でした。
会津藩を取り巻く諸藩をまず平定してから、 次第に会津包囲の輪を
縮めて行こうとするものでした。
だが板垣退助が、この意見にはまっこうから反対をしました。
「根幹を抜かば、枝葉は憂うるに足らず」として
降雪前の会津総攻撃を、断固として主張して譲りません。
その理由としては、会津藩の主力が
その兵力を分散し、同盟諸藩と共に国境の外で戦っているために、
国内が手薄になっていることをあげました。
一気に国境の防御線を突破して若松城を陥し入れてしまえば、
枝葉である諸藩は、おのずから降伏して奥羽一帯は
平定できると力説をしました。
また南国出身の兵が多いという政府軍では、雪の降る冬季の戦いでは
不利となるという見解から、早期の決着を強調しました。
こうした経過を経ながらも、早期決着を急ぐ
侵攻の道が周到に準備され、さらに詮議が重ねられました。
その結果、比較的手薄とみられる「母成峠(ぼなりとうげ)」から
猪苗代へ抜け、さらに若松城下に迫るという、湖北口方面からの
侵攻作戦が決定をされました。
作品名:舞うが如く 第五章 6~9 作家名:落合順平