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ダイヤモンド

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 雨の朝、集団登校の列に車が突っ込んだ。数人は軽傷で済んだのだが、和夫の息子だけ病院で死んだのだった。当然、葬儀には学校関係者、同級生とその母親達も参列していた。当時スミオは部落の役職として、墓掃除や納骨を担当する「六役(ろくやく)」に就いていた。今では市営や民間の葬祭場が一般的だが、その当時の農家は自宅の庭でやるのが通例であった。式も終り、納骨に出かける前の喪主による挨拶の際にそれは起きてしまった。
「テメーら、何考えてやがんだコノヤロウ! 銭置いたら、テメーのガキ連れてとっとと帰りやがれ! 見せもんじゃねえんだぞ! それから、そこのクソ坊主、五十万も持ってくなら、死んだ息子あの世から取り返してこいよ! このハゲタカ野郎! 」
喪主の和夫の脇で、わが子の遺影を持って蝋人形のように経っていた妻のキミ子は、スミオの言葉を聞くなり溶け出すように泣き崩れ、式は大混乱になった。翌日、当時の区長が渋い顔でスミオのところにやって来て、暫く部落の行事に顔を出すのを控えるように申し入れてきた。事実上の村八分の通告であった。
 なぜ、あんな暴挙に出たのか、今もスミオには理解できていなかった。墓掃除の後で「清め」と称して日本酒を少量飲んではいたが、それは重大な要因ではなかった筈だ。
「神も仏もない。あるのは、このくだらない理不尽な現実と、弱い人間どもが長い間に創り上げてしまった悪魔のような葬式というシステム」
自分達の宝物を、脇見運転の車に一瞬にして奪われてしまった夫婦。それを、まったく無傷の連中が取り囲んで見ている。さっき、焼香の際には涙を見せていた筈の母親グループが、自分の子供の塾や学校の話で盛り上がっている。小さな笑い声さえ洩れてくる。スケープゴートを囲んで、自分達の幸せを確認するために群がって来たような黒い集団。庭の奥で門送りの準備をしながら、スミオはこれらの一部始終を見て、聞いていた。首から耳の後ろにかけて負ったヤケドの痕がケロイドになって残り、スミオは中学を出るまでずっと、妖怪だのバケモノだのとからかわれてきた。器量良く生まれた人間にはさらに幸運が準備されているのに、こんな姿に生まれ育った自分には次々と不幸が押し寄せてくる。そんなむちゃくちゃな運命と戦っている内に、スミオの心にはいつの間にか固い殻が出来ていた。結局のところ、式での暴言は、これまで何一つといって自分の努力に報いてくれなかった神か仏かわからない存在に対してのスミオの抗議の叫びだったのかもしれない。
「今度、声かけますから、消防のOB会に顔出してくださいよ」
「いいよ、オレが顔出したら下の連中がいい顔しないさ」
「そんなことないですよ。スミオさんに世話になった連中、今でもスミオさんの事、アニキって呼んでますよ」

             二
 母屋と作業場の間にある柚子の枝から太い蜘蛛の糸がアーチ状に伸びて、外の便所の側にある南天の木に繋がっていた。昨日の夜、邪魔だったのでスミオが棒か何かで払った筈だったのだが、朝までに修復いたらしい。その吊り橋にも見える中央には、魔法陣の形をした網が設置されていて、そこに朝靄が水玉になってぶら下がっていた。スミオが便所放棄でそれを振り払おうと構えると、樫の大木の間からその行為を制止するかのように朝日が差し込んできた。次の瞬間、それまで周りの影を吸収して鉛色だった水滴が数十カラットのダイヤになって一斉に輝き始めた。

「来るわけねえよな。と言うか来たらおかしいわな、こんなところに」
まだ若い柚子の実をすって混ぜた醤油に豆腐を浸しながらスミオは呟いた。食欲のなくなる夏場には柚子の皮が重宝した。スミオの言うその主は、五日前に突然現れた、男か女か判断に迷う若い人物のことだった。スミオがその子供を最初に見た時、生身の人間とは思えなかった。等身大の蝋人形かマネキンを誰かが庭にそっと置いていったのかと思う程、あまりにも場違いな精緻さを放っていたからだった。
「悪いけど、オレこれから出掛けるんで相手してられないんだけど」
宗教関係の人間だと判断し、とっさの常套句としてスミオはその相手に言い放った。市街地の郊外に支部があるキリスト教系のメンバーが、時折スミオのところにも廻ってきていた。タイムリーな災害があればそれと結びつけ、無ければないで漠然とした将来の不安を煽って食い下がってくる。主に女二人組か男女のカップルが多かったが、稀に小学生くらいの子供が付いて来ることもあった。
「突然お邪魔して申し訳ありません。あのう……ちょっとお聞きしたいんですが……」
容姿からは男女の判断がつかないその子供は、スミオに声が届く距離まで近付いてきて、小さな声で言った。
「うん、だからさあ。ちょっと忙しいんで、あんたらの、そのー、今の世の中についてどう思うかとかいう難しいこと訊かれても。心配してくれんのはありがたいんだけど、その後に迷惑が続くんだわ。悪いけど! 」
相手が食い下がってきたと思い、少々まくし立てたせいでスミオは頬張っていた西瓜の種が器官に入って咳き込んでしまった。
「大丈夫ですか? 申し訳ありませんでした。やっぱり失礼します」
相手はペコリと頭を下げて、予想外にあっけなく帰ろうとした。
「いやあー、悪かったなあ。兄ちゃんだか姉ちゃんだか分かんないけど。ああ、サツマイモなら、いいよ。やるよ。家の人から頼まれたんだろ? 盆前だしなあ。金なんかいらないから持ってけよ。あんた、チラシも持ってないし、どうやらオレの早とちりらしいや。偉いなあ、夏休みなのに、こんな汚いところに来るなんて」
非礼を詫びる意味も込めて、スミオは洗ったばかりのベニアズマの提供を申し出た。
「いえ。あのう……、そのサツマイモ掘りのことなんですが……。今、こちらでアルバイト募集してませんでしょうか? 」
「あんだって? 」
 スイカを食った後の口まわりのベトベトした甘汁を、勢い良く出した蛇口に顔を突っ込んで洗っていたスミオの背後から、その人物は先程とは違った澄んだ通る声で言った。

 世の中には多種多様な人間がいるだろうし、いてもいい。だから、他人が働いているところに「神を信じますか? 」と突然入ってくる連中にも、スミオは別段驚きはしなかった。さが、この薄汚い独居老人に等しい中年オヤジのところに来て、「一緒に働かせてくれ」と言う若者など絶対に存在しない。仮にいたとしたら、よほどのワケありか、変わり者に相違ない。というより、そんな設定自体があまりにも陳腐過ぎて「どんな三流ドラマでも成立しない」とスミオはその時、心中で叫びたかった。
 Yと名乗るその子供は何度か来ることになった。勿論、スミオはYのことを労働力として全く期待などしていなかったし、Yにしてもアルバイト代が目的とは考えられなかった。コンクリートとアスファルトに囲まれて育った都会人が「週末に土いじりがしたい」、そう考えるのはごく自然な願望なのだから、それに応えて観光農園に毛が生えた程度の軽作業をあてがえば本人の欲求も満足するだろうし、JAの言う販促キャンペーンにも貢献することになる。スミオはそう納得して件の申し出を承諾したのだった。
作品名:ダイヤモンド 作家名:深井 紫