きのう・きょう・あした
一回り以上歳が離れた若い女性と一緒にコンサートに行けるという事実に、なんだか
しらないけど、胸がワクワクしてくるのでした。
23日の日曜日は幸い良い天気でした。小春日和という表現がぴったしの2月にしては暖かな、
朝を迎えました。
「あ〜た、なんだか、今日は朝からソワソワしてない。落ち着きがないんだから。若い
女の子とデートするっていうんで舞い上がっているでしょう?」
「別に、そんなんじゃないよ、渡辺知子さんのステージが見れるというのでワクワクし
てるんだよ」
(どきっ!心を見透かされたかな? こないだは全然気にかけないような事を言ってい
ても、やっぱし心配してるのかな?)
「もし、山野さんが絶世の美女だったら、どうしようか?」
「あ〜ん、あんたが別にどうしなくてもいいんじゃ無い。向こうだって、あんたを人畜
無害なおじさんと思ってるから、一緒に行く気になったのでしょうから」
「もう、お前、どういう結果になっても知らないからな」
「どうぞ、がんばって下さい。ご検討をお祈りします」
正彦も、このときは全くの冗談でこのような会話を楽しんでいました。
(でも、山野さんて、どんなひとなんだろう・・・)
約束の10時よりも少し早く小倉駅北口のKMMビルの前に着きました。平日はサラリーマン
やOLで賑わうビル前の入り口も、日曜日の朝ということで、人影もまばらでした。
(おやっ! あの女性は紺のワンピースに白いハンドバックを持っている、けど・・・
歳も30歳前後に見えるし、彼女が山野さんだろうか?)
ビルの前で、背筋を伸ばして清楚にたたずむ一人の女性が目に入りました。車を近くに止めて、
ゆっくりと近づいてゆくと、向こうもそれと察したのか、かすかに微笑んだように見えました。
(感じのよさそうな、チャーミングな人だ・・・)
「あのう、失礼ですが、山野さんでいらっしゃいますか?」
「はい、そうです。中里様ですね。初めまして、山野明子です。今日はほんとうに、あ
りがとう御座います。昨日から今日が楽しみで昨夜はあまり寝れませんでした。」
「あっ、それは僕もいっしょです。でも、初めてお目にかかりますけど。メールで何回
かお話ししてますので、決して初めてという感じはしないですね」
「ほんとにそうですね。見ず知らずの方とメールでお話して、そうして、こうやって実際
の中里さんと、お会いするというのも、なんだか不思議な気がします」
「とにかく、話は車の中でゆっくりとしましょう。汚い車ですけど、我慢して下さいね」
「いえ、とんでもありません。よろしく、お願いします」
「最初に、大石剛さんの詩集を、お渡しします」
山野明子を助手席に乗せて、車は走り出しました。手に持った詩集をすこしパラパラとめくって、
眺めていた明子が、ポツンと独り言をいいました。
「健ちゃん、今度ゆっくり読んであげるね・・・」
「えっ!、今何か言いましたか?」
「あっ、ごめんなさい、今日出がけに仏壇の弟に、え〜と、メールで少し書かせていた
だいてた、10年前に筋ジストロフィーで亡くなった、弟なんですけど、大石剛さん
の詩集をもらったら、読んであげるからね、と、約束してきたんです」
「そうですか、健ちゃん、といわれましたね」
「ええ、健次郎ていうんです。私の家族は両親と、兄と私、そして弟の3人兄弟でした。
兄は今、東京で働いています」
(あまり、個人的なことに踏み込んでは、いけないかな・・・)
「ところで、山野さんがNFKにはいられたきっかけは何なんですか?」
「私は、今保母の仕事をしているんです。その保育所でパソコンを少し扱っているもん
ですから、自宅にもパソコンを買って少し勉強してるんです。兄は東京でコンピュータ
のソフト関係の仕事をしていますので、昨年お盆に帰省した時に、機種を選んで貰って
初歩的な事を少し教えてもらいました。保育所ではただ、データを入れてるだけですから、
コンピューターの仕組みとか何にも分からないまま、使ってるんですよ」
「私も、似たようなもんです。一応プログラムは組んでるんですが、ハード的な仕組み
はほとんど理解してません」
「そして、兄にインターネットも勧められて地元のプロバイダーさんと契約して、使い
始めたんです。それから、すこしづついろんなページを見てた時にNFKのホームペ
ージに行き当たったんです」
「それで、メーリングリストに登録されたのですね?」
「そうなんです、初めは毎日のメールの量に圧倒されて、読むだけでも時間がかかるし、
あまり技術的なことは、分からないでしょう。メールを書くといっても何を書いていいのか
分からないし、もうそろそろ脱会しようかな、と1月の中頃は考えていたんです。私もグズ
なもんですから、ついグズグズしてた時に、中里さんや、佐伯さんのメールを読んで、
ほんとうに私、グズで良かったと思いました。だって、1月で脱会していたら、お二人の
メールを読むことも、渡辺知子さんの歌を聴くことも、大石剛さんの詩に出会うことも、
なかったでしょうから・・・」
「神様が、ちょっと良い方向にイタズラをしてくれたんですね・・・」
「でも、中里さんは、ほんとうに音楽がお好きみたいですね?」
「そうですね、昔々マンドリンオーケストラでギター弾いてたんです。ギターは一人で
ボロンボロンと弾いても結構絵になるし、合奏の歓びみたいなものも味わいましたね」
車は、小倉の中心街を抜けて高速のインターチェンジがある、小倉南区の方へと向かっていました。
「山野さんも、音楽はお好きですか?」
「はい、別に自分で楽器はしないんですが、歌はよく聴きます。ジャンル的にはこれっ
ていうのはないんですが、強いて言えば女性ボーカルの曲が好きです。例えばマライ
ア・キャリーとか・・・」
「えっ、マライア・キャリーですか? これは奇遇ですね、私は知る人ぞ知るマライア・キャリー
の熱烈なファンなんですよ、歳も考えずにファンクラブにも入ってるんです。インターネット
のホームページも彼女の紹介ページなんです」
「えっ、もしかして、あの『日本人のためのマライア・キャリーのページ』というのは中里さん
のページなんですか?」
「いやぁ、見ていただけました・・・お恥ずかしい、もう原型を作って2年半くらいなるんです。
ちょっとデザイイン的にはおそまつなページなんですが、データは結構調べたんですよ。
特にビルボードのチャート推移なんか図書館に何回か行って過去の新聞の圧縮版を7年
間分ほど調べました」
「なかなか、ご熱心なんですね」
「ホームページを作る以上、せっかく見てくれた人が何か役に立つ情報がないとつまん
ないでしょうからね。ところで、どうやってあのページを見つけました?」
「やふー、というんですかね? あの検索するので”マライア”と入れて検索したら中里さん
作品名:きのう・きょう・あした 作家名:中原 正光