きのう・きょう・あした
・詩集「風のように」との出会い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・玖珠町のコンサートが開かれるまでの話・・・・・・・・・・・・・・・
「それでは、どうも有り難う御座いました。」
「どうも、これからもがんばりま〜す。」
さすがに、話慣れておられて予定時間の30分ちょうどで話の区切りがつきました。
(いや〜、すごいなぁ。さすがはプロ、圧倒されてしまう)
「中里さん、どうでした?」
佐伯淳子が話しかけてきた。
「いや〜、もう、すごい、の一言ですね。ほんとうに、今日は有り難うございました。
佐伯さんのお陰で、良い経験をさせていただきました」
「それは、私もいっしょなんです。私は仕事で、何回か渡辺さんのインタビューをさせ
て頂いてるんですが、そのたんびに感動してるんです。本来、取材するときはもっと、
冷静に対処しなければいけないんですが。」
「ところで、大石剛さんの詩集はどこで手に入るんですか?」
「え〜と、確か渡辺さんが少しはストックされていらっしゃるはずですが」
「そうですか、あとでお聞きしてみます」
「詩集を買われるのですか?」
「ええ、実はNFKのメンバーの一人なんですが全くメールは書かれてないので、佐伯
さんはご存じ無いと思いますが、山野明子さんという方が、え〜と、私もメールでしか
お話ししたことはないんですが、この詩集のことや、大石剛さんの事を知りたがって
いるんです。彼女の弟さんも10年前に、筋ジストロフィーで亡くなられたらしいんです。」
「そうだったんですか・・・今日ご一緒にこられればよかったのにね」
そろそろ時間も過ぎているので、3人、目で合図して帰る体制に入ろうとしたとき、
「せっかく、おいで頂いたので演奏聴いていって下さい」
渡辺知子さんが、そう言ってさっさとキーボードの準備やら、マイクの準備を始めたのです。
(え〜、生歌がきけるの・・・・夢じゃないよね?)
もしかしたら、それは夢だったかもしれません。あの、「きのう、きょう、あした」が目の前で、
渡辺さん本人が演奏して歌っているのを聴くことができるなんて・・・
大石剛さんの詩集「風のように」と、渡辺知子さんのCD「心」を手にして、渡辺さんのお宅を
後にしても、ボォーット何かにとり憑かれたように考え事をしてました。
別れ際に、佐伯淳子さんから、
「23日の福岡での渡辺知子さんの、コンサート行きましょうね」
と、声をかけてもらったのが、かすかに耳の奥に残っていました。
(そうだ、山野明子さんを23日のコンサートに誘ってみよう・・・)
このときは、大石剛さんの詩集を渡さなければ、という義務感から来るものでした。
まさか、その後山野明子と大きな関わりをもつとは正彦自身も想像だにしてはいませんでした。
家に帰り着くと、とるものもとりあえず、パソコンのスイッチを入れてメールを書き始めました。
夕飯まだでしょう?という。範子の声も耳に入らず、とにかく今日の感動を山野明子に伝えようと
していました。
『 山野明子様
中里正彦です。ただ今渡辺知子さん宅から帰ってきまして、そのままご報告のメ
ールを書いています。今日の感動を言葉で表現することはとても無理なんですが
私と、山谷さん、佐伯さんのNFKのメンバーは3人とも、とっても素晴らしい一時を
過ごさせてもらったのです。渡辺知子さんの、すさまじい人生経験、そして、大石剛
さんの詩集「風のように」との出会いのおはなし、また「きのう、きょう、あした」が完成
し、大石剛さんの地元玖珠町で開かれたお披露目コンサートの感動の様子などを、
熱く語っていただきました。とても、人を引きつけるお話をされる方です。そして、
インタビューが終わったあと、私たちの目の前で、「きのう、きょう、あした」を歌って
頂きました。山野さんもご一緒すればよかったですね。と、佐伯淳子さんも言って
おられました。
そして、山野さんから頼まれていました大石剛さんの詩集「風のように」を手に入れ
てきましたので、今度お会いしてお渡ししたいと思いますが、実は今度の日曜日
23日に福岡市の南区市民センターという所で渡辺知子さんのコンサートがあるん
です。佐伯淳子さんも、山谷さんも行かれるようです。できれば山野さんも福岡まで
一緒に行きましょう。そうすればその時に詩集はお渡しできます。
ご返事を待っています。あっ、それと大石剛さんは現在27歳だそうです。
それでは 』
一気にここまで書いてメールを送信しました。
(23日まで、あまり日にちが無いので早く連絡が着けばいいけど・・・)
「あ〜た、早く夕飯を食べて、後片づけが出来無いじゃないの・・」
「わかった、わかった、今すぐ行くから・・・」
例の、葵の御紋入りの徳利から手酌でちびりちびり、晩酌をしながら今日の出来事を思い出して
いました。
(しかし、すごい経験をしてる人もいるんだなぁ〜、自分なんか平々凡々の生活を毎日
惰性のままに生きてるようなもんだし・・・もう50にも手が届きそうな歳なのに今まで何
にもしてないような気がする・・・それから、大石剛さんも人生の大半を進行性筋ジスト
ロフィーという難病と闘いながら、あんな素晴らしい詩や絵を作ってるなんて、健常者
でありながら何にも出来ない自分が恥ずかしい)
今日も目の前のテレビはほとんど目に入らず、ぶつぶついいながら夕飯をすませました。
いつも通り、カラスの行水を済ませ、詩集「風のように」をゆっくりと手に取りました。
「きのう、きょう、あした」を含む短い詩が60編ほどと、どんな方法で書かれたものか不明
ですが、とても不自由な手で書いたと思われない素晴らしい絵が20枚ほどから、構成さ
れていました。詩は、双子の兄を先に天国に見送ったあとの悲しみと不安の心を表現して
いるものが多く、とても悲しい、つらい想いが、ひしひしと伝わってきます。そして、渡辺知子
さんが言われてた通り「きのう、きょう、あした」はその中でも、ひと味違った輝きを持っている、
と、あまり詩心のない正彦にも思えたのです。
(何一つ不自由なく生活出来てる我々が、かえって不満ばかり言っているのに、神様の
いたずらなのか、何の落ち度もないのに生まれつき大変な障害や難病と闘わざるを得
ない、大石さんみたいな人もいるのだ・・・この詩集も、多くの人に見て欲しいもんだ。)
そんな想いを抱きながら、深い眠りにつきました。
翌朝は少し早く起き出し、メールのチェックを始めました。
(きのうは,NFKの方には報告のメールを出さなかったけど、多分、山谷さん、佐伯
さんはもう、報告のメールを書いてるに違いない・・・)
平日の朝にメールのチェックと書き込みをすることは初めてでした。案の定、昨夜の10時前
には山谷さんの第一報が入ってました。
作品名:きのう・きょう・あした 作家名:中原 正光