きのう・きょう・あした
KISのページの一つとして『ぼんカバチョが行く』という項目がありました。
これは、ぼんカバチョと称する、NFKという組織の中心メンバーの一人である山谷士郎さんが、
北九州地区で活動しているユニークな人たちをインタビューして、その内容をインターネット上で
聴けるようにしているものでした。そこで、KISのページの中にあった『お便り記入コーナー』から
リクエストすることにしました。
『「ぼんカバチョ」さんにリクエスト。
「きのう、きょう、あした」を歌っている”渡辺知子”さんをインタビューしてくだ
さい。できれば、ついていきたいけど・・ 』
今まで、この組織とはほとんど関わりを持たずに、メールを読むだけのメンバーだったのに、
ちょっと積極的に参加してみようという気持ちになってきている自分がおかしかった。
(年寄りの出る幕でもなさそうな感じもするけど・・・やっぱり、ついて行きたいな)
これに対する反応は、すごく早くその日の夕方メールを開いたときには返事が来ていました。
『>「きのう、きょう、あした」を歌っている”渡辺知子”さんをインタビューし
>てください。
>できれば、ついていきたいけど・・
了解しました。交渉を開始します。
連絡先等は、佐伯さんがご存じなのでしょうか?
中里さんのほうで、質問事項などをまとめていただけると
嬉しいのですが・・・。 』
(おっ! やっぱし、アクションは起こしてみるものだ。これで渡辺知子さんにも会え
るかもしれない・・・しかし、質問事項をまとめるといっても?)
その後、佐伯淳子さんの積極的なアプローチで2月19日にインタビューが実施されることに
なりました。正彦にも声がかかり、インタビューの席に同席させてもらえることになりました。
渡辺知子さんの自宅は正彦の家からも意外と近く小倉北区の、とある住宅街にありました。
(いよいよ、今日がインタービューの日だ、今日の残業は絶対に拒否!。早めに自宅に
戻り、時間に遅れないように出かけなくては・・・・そうだ、この事を山野明子さん
にも知らせておかなくては)
実は、最初に山野明子からメールを貰った後、お礼のメールだけは出してたのですがその後
お互いに何の連絡を取らないままでした。
5時の終業を告げるチャイムの音もそこそこに聞いて、会社を後にして自宅に戻りメールを
書き始めました。
『山野明子 様
中里正彦です。連絡が遅くなりました。NFKのメールのやり取りで多少は
様子がおわかりだと思いますが、今日、渡辺知子さんのインタビューが佐伯淳子さ
んのお陰で実施されることになりました。幸い、私にも同行の許可を頂きましたので
これから行って来ます。先日のメールで書いておられた大石剛さんの詩集の件は
今日お聞きしてきます。
また、帰ってきましたら詳細に報告させていただきますので、お待ち下さい。 』
これだけのメールを送り終わると、渡辺知子さんの家に向かうべく自宅を出ようとしました。
「あ〜た、今日は夕飯要るの、要らないの?」
「用件は8時くらいには終わるから、9時くらいには家に戻るので夕飯は家で食う」
「あら、めんどくさい!」
「外で食ったら、金が要るじゃんか!」
そそくさと、自宅を後にして渡辺知子さんのお家へ向かいました。幸い、地図で調べた渡辺
さんの近くには親しい知り合いがいることから、車はそこに置かしてもらい、そこから歩いて
いくことにしました。
渡辺知子さんのお家は少し坂道を上ったところの閑静な住宅街にありました。
(ちょっと、時間より早いけど山谷さんと、佐伯さんは、もうこられているのかな?)
玄関のチャイムを押すと、やがて玄関が開き一人の女性が出てきました。
「あ、あのう、NFKの中里ともうします。本日お伺いするようになっていましたが」
「どうぞ、お入り下さい。もう、他の方はお見えになっていますよ」
(渡辺知子さんのお母さんだろうか? とても感じのいい方だ)
玄関を入ったところのリビングに通されると40代の男性と、20代後半の女性の二人が席に
座っていました。さすがに、ミュージシャンの自宅。キーボードやら、マイクスタンドやら、
音楽機材が部屋の一部に自然な形でとけ込んでいました。
(あっ、この男性の方が山谷さんで、女性の方が佐伯さん、なんだ。佐伯さんて、す
ごいチャーミングな方なんだな)
「初めまして、中里と申します。今回は厚かましくも参加させていただいて、ほんとに
嬉しいです。どうぞ、宜しくお願いします。」
「山谷です、初めまして。今回は佐伯さんのお骨折りでこの、インタビューが実現しま
した」
「佐伯です、中里さんからのメールがとっても嬉しかったんです。そうして、またこの
ようなリクエストをしていただき、有り難う御座います」
お互いに名刺を交換しながら、初対面の挨拶をすませました。佐伯淳子さんの名刺を見ると
KJSラジオの放送記者という肩書きが入っていました。
(ラジオのニュースの取材とか、キャスターとかしているのかしら?)
ちょっと、詳しく聞いてみたい衝動に駆られたとき、一人の女性と、男性がはいってきました。
「どうも、おまたせしました。渡辺知子です。こちらが、橋本たかしです。もう、皆さ
んお揃いですか?」
「はい、この3名でこちらは全員です。最後に来られた方が中里さんと言われまして、
今回のこのインタビューをリクエストされた方です」
「どうも、はじめまして。中里と申します。インターネットの放送で『きのう、きょう、あした』
を聴いてから、どうしてもいろんな事が知りたくて・・・でも、ほんとに実現して、もう夢
のようです。」
「私の歌を気に入って下さって、とっても嬉しいです。今日はゆっくりしていって下さい。
それでは、佐伯さん、はじめますか?」
「はい、じゃ山谷さん。どのようにインタビューを進行しますか?」
「きょうは、もう佐伯さんに全面的にまかせます。佐伯さんの方がプロなんだし、渡辺さん
とのおつきあいも長いから。中里さん、何かリクエストありますか?」
「いいえ、とんでもない。今日は隅の方でじっと聴かせていただくだけです」
「それでは、私が質問をして、それに渡辺さんから答えて頂くようにしましょうか?
渡辺さんはもう、いろんなところで講演をされておられますので、お話は慣れておら
れますから、私は相槌をうつくらいで済みそうです」
山谷さんが、録音用のMDにカセットをセットしいよいよ、インタビューが始まりました。
まず、佐伯淳子さんがインタビューの口火を切ります。
「はい、今回・・・・・・・・・・・・・・
・渡辺知子さんの生い立ちと音楽とのかかわり・・・・・・・・・・・
・紫斑病を克服するまでの闘い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・クモ膜下出血で倒れてから、奇跡の復活までの話・・・・・・・
作品名:きのう・きょう・あした 作家名:中原 正光