きのう・きょう・あした
し、そんなに最新の流行を追っかけるような生活でもないんですよ。なんせ、毎日30人
のちっちゃな恋人と格闘してますから」
「失礼な言い方かもしれませんが、子供を持ったことがない独身の貴女が、小さな子供達
の世話をよく出来るもんですね?」
「そうですね、ぎりぎりのところでは、自分で子供を育てた経験のある保母さんにはかなわ
ないです。でも、私自身が子供達を心から好きになることが出来たら、子供の方も自然
に心を開いてくれるんですよ。言葉とか、理屈でなくて、もうボディーランゲージというん
でしょうかね」
この言葉は、この時はさほど気にとめて聞いていた訳ではないが、このあと深く噛みしめる事になる。
正彦も、さほど福岡市内の地理には詳しい訳ではなく、何度か道を迷いながら目的の福岡南市民
センターに到着した。ちょうど正午になっていた。会場に着くと、係りの人が親切に駐車場に案内
してくれました。
「ちょうど、あと1時間ありますから、近くで何か食事を済ませましょう。山野さんは
何がお好きですか?」
「特に、好き嫌いはありませんから、中里さんにお任せします」
福岡南市民センターは西鉄の大橋駅から歩ける所にあります。大橋駅方面に歩きながら、
適当なレストランをみつけて入りました。
「若い女性と二人きりでレストランで食事するなんて、滅多にないので、ちょっと恥ず
かしい気持ちですよ」
「ごめんなさい、かってについて来ちゃって。でも、同世代とさっきおっしゃったじゃ
ないですか。それとも、奥さんに申し訳ないとでも、思ってるんですか?」
「いえ、いえ、そんなんじゃないんです。なんだか、とても嬉しくて、ワクワクしてる
んです」
「あら、私めと、食事をするくらいでワクワクしてもらって、光栄です」
食事の間も、なにやかやと話題がとぎれることなく、おしゃべりしていました。
(最近は、奥さんと食事に行っても、なんだかあまりしゃべることがないのに、今日は
ちょっと、しゃべりすぎかな?)
食事を終えてコンサート会場に着いてみると、もうかなりの人が会場にはいっているみたいでした。
当日券をそれぞれ購入して会場に入場してからロビーの椅子に腰掛けて、会場に入ってくる人を、
見ていました。
(山谷さんと、佐伯さんはもうこられているんだろうか? 先に来てて、中に入ってた
ら探すのは大変だ・・特に女性は服装が替わるとイメージが変わるからな・・・)
4日前に初めて会ったばかりの二人を大勢の人の中で、見つけるのは結構大変じゃないかと
思っていました。
(ん、あの人だ、佐伯さんだ・・・)
二人の女性がチケットを受付に出し入場してきました。一人は、まぎれもなく佐伯淳子さんでした。
白のスラックスに、赤のジャケットを着て、初めて会ったときの印象通り、とてもチャーミングでした。
(はたして、僕のことを覚えてくれているかどうか・・・)
「あのう、佐伯さんですよね、先日、渡辺知子さん宅でご一緒させてもらった中里です」
「あれっ、中里さんも、おみえになったんですね。嬉しいわ。ところで、山谷さんはみ
えてますか?」
「いや、まだ会っていないんですが・・・ところで、一人紹介したい人がいるんですが」
「もしかして、え〜と、山野さんていわれてましたかね?・・・あの方ですか?」
「そうです。山野さん、どうぞこちらへ、この方が佐伯淳子さんです」
近くの椅子に座っていた山野明子を手招きして、佐伯淳子に紹介しました。
「はじめまして、山野明子と申します。今日は中里さんに無理言ってここまで、連れて
きてもらいました」
「山野さんの事は、中里さんからお聞きしていました。でも、こうやってお会いできる
のも何かの縁でしょうね。これからも、宜しくお願いします」
「私こそ、よろしく。中里さんにも、佐伯さんにも、今日初めてお会いするのに、なん
だかぜんぜんそんな感じがしないのが不思議です。これからも、仲間に加えて下さい」
「それは、もう、みんな大歓迎ですよ」
横から、正彦が声を出しました。佐伯さんも、それに大きくうなずき、そろそろ時間だから、
会場に入ろうとした時に、山谷さんの姿が見えました。
「山谷さん!、こちらですよ。中里さんもいらっしゃっています」
と、佐伯淳子さんが山谷さんを手招きしました。
「あ、どうも、皆さんおそろいで、私は会場の中をずっと探していました」
「どうも、こちらが山野明子さんと、言われまして一応NFKのメンバーなんです。
渡辺知子さんの『きのう、きょう、あした』に大変興味を持たれてたものですから、
ぜひにと、私がお誘いしました」
「はじめまして、山谷といいます。山野さんもNFKのメンバーなんですから、これか
らは、会のほうにもメールをどんどん出して下さい」
「どうぞ、宜しくお願いします」
山野明子の挨拶を最後に、皆で会場に入り、やや後ろの方の席に着いた。会場の前の方には
車椅子でこられている人たちの集団が目についた。
このコンサートのタイトルは『福祉の輪−愛LOVEコンサート』となっていて、主催は福岡市肢体
不自由児・者育成会であった。第一部では、成人のお祝いとして、今年成人になった障害者の
方が10名ほど舞台の上でみんなの祝福を受けていた。
(今、1月15日に、各自治体で開催される成人式が大きな問題になっているのに、こ
んな所で、こんな風に成人のお祝いをしているなんて、これまで全然知らなかった。
もっと、健康に成人になった人たちは、そのことを感謝しなければバチが当たるよな。
人間は、自分の見聞きしている範囲でしか物事を考えることは出来ない。群盲象を語
る、のたとえ通り、自分の知っている情報が全てだと思いこんで物事を決めつけよう
としている人たちも多くいるけど、全ての事に疑問を投げかける所から物事の進歩は
生まれるのじゃないかな・・・)
今まで、暮らしてきた環境と大きく違うこの会場での光景を目にして、正彦はとても考えさせ
られる所がありました。
一部の、式が終わったあと、山谷さんが何かを思いだしたように言いました。
「そうだ、先日の渡辺知子さん宅の録音テープ今車に入れてるんだ、ちょっと、取って
きて、中里さんと、佐伯さんにお渡ししますね」
そう言って、会場から出ていった。
「中里さんも、山野さんも渡辺さんのコンサートは勿論はじめてですよね? 私は、過
去取材で2回ほどお聴きしているのですが、それは、一生懸命ステージを勤められて、
聞く人を退屈させないですよ」
佐伯淳子が二人に話しかけてきた。
「なんだか、うらやましいお仕事ですね。でも、取材のお仕事なんて、そんな楽しいこ
とばかりじゃあ、無いんでしょうね」
山野明子が答えた。
「そうなんですよ、渡辺知子さんのような取材ばかりだったら、この仕事は天国ですけ
ど、中にはほんとうにいやな目にあう取材も多いんですよ」
「また、いつかゆっくりと取材の苦労話でも聞かせてください」
作品名:きのう・きょう・あした 作家名:中原 正光