瑠璃の海、琥珀の空。
カイムと私はツリーの広場を後にして、うちに帰るべく改札をくぐった。うちというのは私のマンションのこと。カイムはクリスマスだけ国に里帰りすると嘘をついて外泊許可を取ってきている。家族や恋人に会わずに、私に会いにきてくれた優しいカイム。お馬鹿さんなカイム。カイムは優しいけれど残酷な人だ。彼は国に帰ってローザに会うべきだった。私のためにも、彼女のためにも、そして何より彼のためにも。
でも、そう思う一方で、やっぱり素直に嬉しいと思う気持ちも私は消しきれないのだった。それが問題なのだけれども。
この駅はちょっと変わっていて、中央改札を入ったところに普通の時計だけでなく、明らかに時間の狂った時計がいくつも並んで壁に埋まっている。それらは世界各国の現在の時刻を示す時計だ。国際便のある空港か、インターナショナルなホテルのエントランスみたい。
「見て、ニューヨークはまだ朝の六時なのね」
下にNEW YORKと金文字で説明のついた時計を指して言った。カイムは、そうだね、とだけ呟いた。その表情から感情は読み取れない。
ローザはまだ朝の時間にいるのだ。今日の午前六時だなんて、今の私からしたら途方もなく昔のことに思える。嗚呼、できるのなら今、ローザに電話がしたい、と思った。たとえ海底に人知れず埋まる頼りなげな光ケーブルで繋がるだけであったとしても、過去と繋がることができるのなら電話がしたかった。電話の相手が愛しい男の恋人でも。話がしたい。それほどまでに私にとって過去は、地中に眠る宝石のように貴重品だった。
なにせ私たちには未来がない。
「ローザに会いたい?」
私は先ほど一番の願いを口にしたことで大胆になっていた。カイムは顔くしゃっとさせて情けなく笑った。
「いいよ、本音を言って。嘘はつけないんでしょ?」
「言ってもいいの? きっとマリナは傷付くよ」
「言って」
自分でも思いがけず凄んだ声になってしまった。
カイムは仕方なさそうに肩を竦めた。
「……信じられないかもしれないけれど、別に、会いたいとは思わないんだよ。僕たちは会わなくったって全然平気なんだ。たぶんマリナには分からないだろう、僕たちのことなんて」
眩暈がして、頭の奥でぐわんぐわんと鐘が鳴っているのを感じた。膝から崩れ落ちてしまわないように、脚にしっかりと力を入れる。私にはわからない。私ではたどりつけない。そんな場所に彼らはいる。……私じゃ勝てっこないじゃない。
「電車、来ちゃうね。行っこか」
すっかり回らなくなった頭でそう言って、ホームに足を向けるのでやっとだった。
作品名:瑠璃の海、琥珀の空。 作家名:明治ミルク