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いつかのさよならまで

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君が問う。僕が答える。
 それが、僕達の『いつも』だった。

「……ねえ」
 夕焼けに染まる灰色の塀、アスファルトの道、そして隣を歩く少女。それはいつもの僕の、帰り道の風景だ。
「人が空を飛べる生き物だったら、どうなるかな?」
 唐突に彼女が口を開いた。出てきたのは、およそ実現し得ない『もしも』の話。彼女は『もしも』の話が好きなのだ。ままならない現実でもあるのか、ただの夢想家なのか。何度その横顔を盗み見ても、夕闇が彼女の表情を薄暗くさせ、僕は彼女がどんな顔をして口を開いたのか、わからなかった。
「うん、そうだね。高所恐怖症の人にはそれって、地獄かな」
「え、高所恐怖症なの?」
 僕は首を振る。
「たとえばの話」
「そうなんだ。私は高いとこ苦手だよ」
 予想外の言葉に、僕は首をかしげた。さっきの疑問は『空を飛びたい』という願望から来たものだと思っていたから。
 僕の戸惑いを感じ取ったのか、それともただ話を続けたかっただけなのか、彼女はまた口を開く。
「だから、もし人が空を飛ぶ生き物で、高いところにいるのが当たり前なら、高所恐怖症もなくなるかな、と思って」
 だって、最初から当たり前の場所なんだから、と少女は声を弾ませた。それもそうだ、と僕も思う。その場合の高所恐怖症は、地上恐怖症みたいなものだ。そんな人間、多分――ほとんど――いやしないだろう。
 だが、心の中の同意とは裏腹に、僕の口は天邪鬼な言葉を紡ぐ。
「でも、当たり前のことを出来ない・しない人も中にはいるわけで、皆がやることが嫌いな人も、皆が行く場所に行かない人もいるわけだから」
 断定はできないよねと、僕は灰色な正論で彼女に答えた。この世に自信を持って断定できるものはほとんどない。例外は何にでもあるのだ―――そんな、卑怯で正しい理屈。さて、君はなんて答えるかな。
「『私の』高所恐怖症がなくなってくれるんなら、別に例外なんてあってもいいよ」
 僕のささやかな意地悪は、彼女に気づかれることなく簡単に投げ返されたようだ。脱力と共にため息が出る。
「……とても利己的な解答、ありがとう」
「ん。どういたしまして」
 僕の皮肉もやはり彼女に届くことはなく、さらりと受け流された。これは天然でやっているのか、それとも意識的なのか。前者だとしたら逆に厄介だ。意識的ならば直しようがあるが、無意識は直せまい。
「で、なくなるかな?」
 彼女は僕の方を向いて――僕も彼女の方を向いて――僕の目を真っ直ぐに見た。大きな目の、片方にだけあるほくろ。肩までの少しクセのある髪。久しぶりに彼女の顔を見たような気がした。
「そうだね、」 
 一直線の視線から逃れるように、僕はまた前を向く。そして、一面の青空を想像した。人が鳥が雲が飛び交う、青空。正直それは真っ青なスクランブル交差点のようで、無造作に青を潰す貼り絵のようで、決して美しいものではなかったけれど。君は、いや君と僕は相変わらず隣にいて、青空の中所在無く漂っている。僕は隣の君に聞いてみた。まだ高いところが怖いかい?君は目をつぶって、
「……やっぱりどんな世界でも、君は君のままだと思うな」
 空想と思考をつむぎ合わせて出した答えは、それだった。さして残念でもなさそうに彼女は、
「なくならないんだ」
「というか、今度は人に酔って高いところが駄目になると思うんだ」
 眉をよせて、彼女は疑問を目で訴えた。僕の言葉は、まわりくどい、とよく言われる。
「君、スクランブル交差点とか怖い人だろ?」
「うん、気持ち悪いよね、どこから何が来るかわからなくって」
 さっき自分がいたところに、自転車なんかが全速力で突っ込んでくるんだよ……ぞっとする。そう、すらすらと嫌悪を吐き出した彼女に、僕は最悪の、いや最高のタイミングで教えてあげた。
「人が飛ぶ生き物なら、空、そんな感じになるよ」
 ……虫を見るような目で見られてしまった。
 もちろん彼女は虫を好ましく思ってはいない。多くの女性が嫌っているように、彼女は虫、特に蜂の幼虫が嫌いである。
「君はリアリストすぎるよ。夢がない、夢が」
「これでも最近、夢想家の君に毒されていると自負しているんだけど」
「そうは見えない!」
 鋭く反論する声は、しかし、愉快そうな響きがした。夢想家にはなれない僕が、結局いつも彼女の夢想に付き合っていることが面白かったのか。
なぜと問おうと開きかけた口を、僕は閉じた。見慣れた曲がり角が目に映る。僕はまっすぐ進み、彼女は曲がる道だ。
「じゃあ、またね」
「うん、また」
 僕たちはいつものように別れる。『さよなら』とは言わない。僕と君がまた会えるように、『また』と僕たちは言う。
 夕暮れが闇色に塗り変わる道の向こうに、彼女は歩き出し―――僕も、星の見え始めた空を眺めながら、彼女とは違う道を歩きだした。


**


「人が花を食べる生き物だったら、どうなるかな?」
 相変わらず彼女の夢想癖は止まない。よくもまあ次から次に出てくるものだ。
「そうだね、みんな花を愛でなくなるね」
「え?」
「誰も野菜や肉を愛でないだろ?」
 そして僕のこの嫌がらせのような現実論も止まない。机上の空論といってもいい僕の言葉が、君を君の幻想論を少しでも揺らがせないかと僕は思っている、のかもしれない。
「……練りきりとか、ケーキとか、眺めて綺麗って思って食べるものも、あるじゃない」
「それでも、おいしそう、ってことが先に浮かぶよね。『ただ愛でるだけ』の綺麗とは違う」
 彼女には、『現実』も少しは想ってほしいのだ。未練というか、彼女には『現実』への執着がないように感じるから。『いつも』という言葉を愛する僕は、そんな彼女に恐れとかすかな羨望を感じている。
「そうなのかな」
 不満そうに唇を曲げ、彼女はカバンからお菓子の袋を取り出すと、ビリ、と音を立てて開けた。動物の絵がプリントされたビスケットを見て彼女は「可愛いね」とにこりともせずに言い、口に放り込む。
 その姿に、僕は不覚にも彼女が花を喰む姿を夢想した。想像ではなく、夢想。自分の意志で幻像を思い描くのではなく、夢見るような、白昼の幻視。まるで、彼女がするような行為だった。
「……そうなのかもね」
 悔しそうに彼女はつぶやく。不覚をとったのは、僕だけではないようだった。少し楽しくなってきて、僕は微笑んだ。
 互いに影響されているのだろう、良くも悪くも。


**


「ねえ、もし」
「ねえ、生まれ変わったら何になりたい?」
 彼女の言葉に僕の言葉がかぶさる。もともと実のない幻想は、僕の鼓膜を震わせることなく儚く消えた。まあ、僕が壊したのだけど。
 たまには僕が彼女に問いかけてみたかったのだ。
「うーん、と……」
 下を向いて彼女は考え始める。彼女は僕よりは小柄なので、下を向かれるとどんな表情で悩んでいるのかはわからなかった。
「私は、」
「うん」
「生まれ変わりたくない」
 普段彼女が主張している『夢のある』言葉が返ってくることを予想していた僕は、思わず「え?」と間抜けな声をあげる。やけにきっぱりとした口調だった。彼女は悩んでいたと言うより、言いよどんでいたのだと言うことを知る。 
「君は?」
「僕?」
作品名:いつかのさよならまで 作家名:白架