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舞うが如く 第五章 1~3

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 土佐藩等でも緩やかながら、同様の改革が進行をしました。
これらの諸藩は急速にイギリスなどに接近しながら
軍事改革と殖産興業に努めます。

 1867年のパリ万博には、
幕府の他に、薩摩と土佐が、それぞれ別個に出品をしました。。
これは、これらの藩の目が早くから外国にも向いていた事を如実に示しています
また幕府を無視して、独立国家の意識があったとも言えるでしょう。


 薩摩も長州も、ともに領民皆兵的方針をとりはじめました。
一方、会津藩はまだ領民皆兵の方針はとっておらず、
総兵力は、武士集団による数千人規模のままでした。


 戊辰戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いに破れた後に、
軍を洋式に再編成しますが、このときにもまた、会津式の旧来による
身分毎による再編成をおこなっています。


 会津藩の軍制は、天明年間(一七八一~八)に
長沼流の兵法を取り入れました。
文久三年 (一八六三)八月の孝明天皇の叡覧では、大いにその武威を示しました。
しかし、鳥羽・伏見の戦いで、西洋式の西南諸藩に大敗した会津藩は、
慶応四年の(一八六八)三月十日に、ついに軍制の大改革を断行しました。


 その改革の中心とは


・洋式に改める
・年齢別に編成する
・農町兵を募集する、 の3点です。