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舞うが如く 第五章 1~3

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舞うが如く 第五章
(1)それぞれの軍政改革




 戊辰戦争で官軍の中心として大きな役割をはたした長州や薩摩藩は、
早くから諸外国の国力や最新式の銃火器に注目をしました。
とくに、欧州列強の軍事力を実体験した両藩は、ともに攘夷思想を転換して
軍組織と装備の洋式化を一気にすすめました。


 薩摩藩では、既に、島津重豪(1745~1833)の時代から、
開明の思想があり、欧米文化の輸入や琉球を介する貿易や密貿易で、
殖産興業などを行っていました。
1863年にイギリス艦隊の攻撃を受け、その軍事力の差に圧倒されたことにより、
急速に英国等に近づます。


 英国商人グラバーを介し、ミニエー銃一万挺を一括購入したうえで、
軍政も洋式兵制に学び、領民皆兵制度へと転換をします。
隊長も門閥や家格には無関係としました。
戊辰戦争の時期には、薩摩の予備役を含めた総兵力は、
実に、5万人を越えていたといわれました。


 長州藩は、1863年に、
四カ国連合艦隊の攻撃を受けています。
あまりもの戦力差のために、攘夷の自信を失います。
軍備に関しては、薩摩の様に急速にはすすみません。
しかし、第一次長征伐戦の後に、大村益次郎などが中心となり、
挙藩軍事体制を敷くことになります。
 
 1863年に、既に有志により結成された「奇兵隊」をはじめ、
農町民からも兵を募集して給料を与えるようになりました。
さらに西洋式陣法を取り入れて、銃隊を編成し、上海と密貿易して、
大量に武器弾薬などを購入します。


 1865年には、
竜馬の亀山社中の高松等の斡旋で、薩摩の小松帯刀と会見をします。
「開国と勤皇」を確認したのちに、薩摩経由で、
グラバーより、ミニエー銃を4300挺、ゲーベル銃が3000挺、
さらに軍艦等なども購入をします。
ついで米人ドレークとも連携をして、藩の軍備を
さらに充実させていきます。