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舞うが如く 第四章 10~12

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舞うが如く 第四章
(12)会津若松



 会津若松の起源は、1384年(至徳元年)の、
蘆名直盛による黒川城築城にまで遡のぼります。
以降、城下町としての黒川は、
戦国大名・蘆名氏の領国支配の拠点として、
当時の奥州最大の都市として発展を遂げることになりました。



 1589年(天正17年)、
伊達政宗のもとで勢力を拡大する伊達氏が
領主の芦名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地としました。
しかし翌1590年(天正18年)に、
豊臣秀吉による奥州仕置により黒川は
伊達氏から取り上げられ、代わって蒲生氏郷が入封しました。



 氏郷は楽市楽座の施行や、手工業の振興につとめ、
黒川城の近代城郭への改修などにその功績を残しました。
また黒川という地名を若松と改めます。


 氏郷の死後、越後から上杉景勝が入封しますが、
関ヶ原の役で徳川家康に敵対して敗れ、
米沢へと移封されてしまいます。
その後、蒲生秀行、加藤嘉明などの領主を経て、
1643年に徳川秀忠の子・保科正之が入封して、
会津松平家の祖となりました。
以後若松は、会津藩の城下町として栄えることになるのです。



後方からまた、若侍が追いついてきました。
すでに、会津西街道も城下へと差し掛かり、猪苗代湖越しに
赤い瓦屋根と白壁が光る若松城(鶴ヶ城)の
天守閣も見えてきました。



 「山本八重さまは、
 たしか20歳になられると思います。
 なんでも少女のころに、四斗樽を何度も持ち上げてみせたという、
 怪力の持ち主というのが、もっぱらの城下での評判です。」



 「ほう、怪力の持つ主ですね、
 それでは怪女ですか。」


 「いえ、いたって、聡明でお美しい方と伺っております。
 しかし、なにかにつけての男勝りにございます。
 砲術にかけては、男でも右に出るものはいないという噂です。
 容姿は実に淡麗なのですが・・・」



 「なるほど、では、こちらよりも美形かな?」


 連れ立って歩く作蔵が、若侍を招き寄せると
琴を指さしてから、小声で尋ねます。