充溢 第一部 第二十六話
第26話・2/3
工房で薬品を調合する。材料は作り置きしていたものばかりだから、仕事は早く済みそうだった。
「あまり根を詰めるな、落ち着かないなら、儂が隣で寝てやるぞ」
「私はミランダさんじゃありませんし」
挑発に乗りませんよと、目で訴えると、ミランダの話を始めた。
ポーシャが何か妙な薬でも飲ませていたのかと疑っていたが、彼女に纏わる珍事を並べるだけだった。
期待の色が徐々に失せる。詰まらない話だと笑うと、『人間は謎だらけだからな』と返された。
アントーニオの『一寸先は闇』みたいなものだ。自分を差し置いて、人を謎扱いするのだから、全人類に対して失礼な少女だ。
ポーシャがちょっかいを出す理由は分かっていた。今まで出し惜しみしていた話をしようというのだ。
「私より先に茶葉の研究をしていたのは、母だったんですね」
しびれを切らして、ポーシャを促してみると、『親子して似ている』と情感込めて語り出した。その目は私の目の奥、遠いところを見つめる。
似ていると言われると嬉しいが、この仕事は、その母のやったことの再現でしかない。
嬉しくなさそうな様子を悟られると、母が実際には成さなかった仕事を成したんだから、自分を卑下するのはやめろと言われた。
そうは言っても、ただの組み合わせだ。それに、本気で私に担わせるつもりがあるなら、何故、直接指図しない。
「でも、あんまり信用はしてもらえてなかったみたいですね」
「コーディリアは現実主義者だからな。なるべく可能性の高い方を選ぶよ。
だがな、コーディリアは、何の為にお前に錬金術を仕込んだと思うのかね。
もう少し自信を持てば良い。
お前をここに連れてきたのは、コーディリアの遺書があったからだし、茶葉に向かわせたのも偶然ではないぞ」
未だに母の手のひらで踊らされていることに、残念な気持ちになり、踊れている事に誇らしくなった。しかし、それでも納得にはほど遠い。母がこんな回りくどい事をする性格だろうか。
「コーディリアも複雑な立場の人間でな。
学長を問いただして、ようやく納得が行ったよ。
お前の母さんは、かつて奴らの仲間だった」
問いただしたなんて、嘘っぽいにも程がある。緊張に反発したのもあって、『まさか』と笑い声で聞き返した。
彼女はちょっとしたテクニックだとか、魔法だとか言って、はぐらかそうとする。
何か野蛮なことをやってそうな気配がする――寝覚めの悪い話を聞かされるのも怖かったので、"そういうこと"で納めることにした。
私の気持ちが持ち直すのを察したのか、ポーシャは表情を戻し、話を続けることにした。
母は、今回の一件を引き起こした、謎の組織の意を受けて学園に潜入したという。
学長もこの組織の人間だと言うが、組織については必要以上の事を知らないようだ。事件は、殆どラッテンファンガーに丸投げだったので、鐘楼を焼いた理由や、イアーゴーについては、謎のままだ。
母の目的は、人形についての研究らしい。他の貴族系の教授も関係していて、思想教化も狙っていたようだ。しかし、その企みは、校内の別の怖い面々に察知され、潰しに掛けられた。
母以外のメンバーは、上手い具合に追い出せたが、母はなかなか尻尾を掴ませなかったらしい。
学園側で策略が進められていた頃、事の経緯が公爵の耳にも入った。そこで彼は事を丸く収めるよう、上手く取りはからったと言う。
ポーシャは、公爵の事を恨むんじゃないよと釘を刺した。間違っても悪く言うものか。
初めの頃の公爵の顔を思い出す。なるほど、なかなかいい人だったんだな。
田舎暮らしに追いやったのは、政治的妥協だったのだ。それがなければ、殺されていたかも知れない。
「公爵を問い詰めれば分かると思うが……コーディリアは抜けたがっていたんじゃないかな」
公爵は、フランチェスカを人質に取られていたようなものだから、あの医師や組織について強く対処することが出来なかった。学校での動きに乗じて、公爵は問題の医師を追い出し、母は組織を抜けようとした。
フランチェスカとネリッサ――そして研究をポーシャ達に託したのだ。
悦びの気持ちは多分にあるのに、喜べない何かが作用する。泣き出したいのに、涙が出ない。
散らかった部屋に唖然として、手の付け所を探して立ち尽くしている。
「我々は、コーディリアと公爵にまんまと担がれていた訳だ」
気を遣ってくれたのだろう。ケロリとした表情で笑う。でも、何と言ったらいいか分からない。
「願わくば――"おチビちゃん"って言ってくれないか? 出来るだけ威厳ある声で」
無理だ。今にでも泣きたいって言うのに。
「一体何を考えているんです!
――おチビちゃん」
ポーシャも同じ気持ちだったのだろう。大人びた目つきが膨潤していた。
「ありがとう。これで戦えるよ」
作品名:充溢 第一部 第二十六話 作家名: