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舞うが如く 第四章 1~3

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舞うが如く 第四章
(2)蛤御門(はまぐりごもん)の変


元治元年(1864年)7月19日。
京都で勢力の挽回を図る長州藩と
御所を守る幕府軍との間で武力衝突が発生しました。


 前年の、8月18日の政変で京都政界を追放された長州藩が、
新撰組による池田屋事件で火に油を注ぐこととなり、
ついに武力行使に至ります。
兵力では圧倒的に劣っている長州軍でしたが、
尊攘をめざす藩士たちの猛攻には、それをしのぐ凄まじいものがありました。
とりわけ熾烈を極めた御所周辺を筆頭に、
市内の各地で、激しい戦闘が繰り広げられました。


 しかし、薩摩藩・会津藩を主力とする
大軍の幕府軍には力及ばず、ついに長州藩は敗走をはじめます。
中でも激戦区だったのは西側の蛤御門(はまぐりごもん)であったため、
のちに、蛤御門の変と呼ばれるようになりました。


 御所の周囲にある9門の一つで、天明の大火(1788年)の際に
初めて開門されたことから「焼けて口開く蛤」にたとえられて、
「蛤御門」と呼ばれました。
今でも御門の梁には、めり込んだ鉄弾が残っています。


 戦闘は19日の昼過ぎには終了しましたが、
おりからの強風にもあおられて、市内一帯に広がった戦火による火災は、
21日ので朝まで続いていたといわれています。



 この当時の京都の人口が約50万人でした。
この戦火の被害は27513戸にも上り、811町が焼失をしました。
公家屋敷は18軒、武家屋敷は51軒、土蔵1207棟、橋41、宮門跡3つ、
芝居小屋2軒、髪結所132軒、社寺253、番部屋562と延焼し、
京都市街の3分の2が焼失したともいわれています。