充溢 第一部 第二十二話
第22話・2/3
ポーシャの屋敷へ出かけ、研究の進捗を語った――そして、どうしても重液の正体が何であるか知りたかった。何故、あの液体を流し込めば、彼女がいつか助かるのだと信じているのか。
ポーシャは、あの日以来落ち込んだ顔ばかりを見せていたが、こちらも真剣だった。
私には一つの信仰があった。何かを創り出せば、必ず先に進めると。
ポーシャは顎に手をやり暫時立ち止まると、諦めるような顔に表情を作り替え、静かに語り始めた。
「以前、謎の男がフランチェスカを人形にした話をしただろ。
あの男、医者としても優秀だったし、素行も悪くない。それに人形の一件もある。国の偉いさん達の信頼をすっかり得てしまった。
気を良くしたものだから、彼が研究所を作りたいと言った時、誰もがそれに賛同したそうな。
いつの間にか、それは誰の権限も及ばない彼の為の研究所となっていた。
その頃からだよ、子供の誘拐や若者の謎の失踪が増えたのは」
遺体こそ見つからなかったが、男が去って以来、失踪の件数はめっきり減ったらしい。ただ、この医者に助けられた人間からすれば、あまり口にしたいことではない。怪我や病気から救われた人数も多いから、全ては過去の出来事と封印されてしまった。
ポーシャは、失踪が増え始めた頃から疑いを持ち始め、実際に怪しいところへ誘い出されそうになった事もあるらしい。
囮になっても良かったと、余裕たっぷりに話すところを見ると、今後も無茶をやめようとは思うまい。試しに問えば、何度も殺されかけているとうそぶく。
ミランダが誘拐された日に、ロザリンドが語った物騒な話を思い出した。嫌がるだろうなと分かっていて、聞いてみるとやっぱり面倒くさい顔をされ、運が良かっただけだと誤魔化された。
殆ど嘘だと言うのは明白だが、ここに拘って話を失っては困るので、そのままにした。
ポーシャが問題の研究所に踏み込んだ時、そこに残っていたのは、人形になりかけたネリッサと、数冊の暗号ノートだった。
彼女が残った理由は謎だ。ノートは一冊だけ暗号化されず、あの重液のレシピと人形の手入れの仕方が書かれていたので、それで満足するしかなかった。
「嘘みたいな話だろ?」
出し抜けに心読まれ、咄嗟に出た言葉は『嘘でしょ』と締まりがない。
ポーシャはしてやったりと、頬を緩ませた。
なかなか信じられないことばかりだと言う。ネリッサが放置された事や、暗号ノート、そして、今まで彼女を奪い返そうとしなかった彼らの姿勢。
ラッテンファンガーは、その時の医師と通じている。それを否定しなかったからだ。そして、きっとマクシミリアンとも、赤の他人と言う事はないだろう。
マクシミリアンの話に移る。ネリッサを掠う日の為に、全てが周到に用心深く準備されていた。街に訪れ、アントーニオと懇意になり、純情な青年の振りしてネリッサに近づいたのだ。その全てが演技で、その間ずっと監視していた。
それについて、何か考えなきゃと頑張ってみたが、あまりにも材料がない。後味が悪いまま、無言の時間を作ってしまった。
マクシミリアンに思考を奪われてしまった。本当に聞きたいのは、ネリッサとフランチェスカの話だ。
ネリッサはどうやって意識を取り戻したのだろう?
「例の液体を流し込み続けたんだよ。フランチェスカみたいにな……今でも残っているかな? チューブの跡が」
惜しいな。見てみたい。その穴は、人に見せてはいけないもの、恥ずかしいものだと勝手に決めつけていた。そして、それ故に見たいと考えるのだから、自分はいよいよ病んでいると悟った。
あの液体レシピには、状態維持の為だと書かれていたと言う。ネリッサが意識を取り戻したのは、単なる偶然とも、時間の問題とも考えられる。
七年間望みのないまま投薬を続けたポーシャはどういう気持ちだっただろう?
やれることをやっていただけだと照れながら言う、『ネリッサには言うなよ』と何度か念を押して、幸福の眼差しで語る。
「あの時は胆を冷やしたよ。
ネリッサの部屋の前を通ると、人影があってな。遂に取り戻しに来たと覚悟を決めたんだ。
ロザリンドが静かに扉を開くと、人形みたいなネリッサが立っていた。
ロザリンドが、儂の手を引いて部屋に通すと、ネリッサは何と言ったと思う?」
ポーシャの目が潤んでいる。
「儂の名前を呼んだんだよ」
彼女が語るほど感動は伝わらないが、七年も看病すれば、魔女でも人並み以上の感受性を与えるのだ。
最後の話は、大きく心を動かさなかった。重液の話から、研究に資する知見は得られなかった事ばかりが気に掛かっていたからだ。
フランチェスカが、何処かしらネリッサに似ていると感じた、あの時の気持ちの答えが出た気がしたのが、一番大きな収穫だった。
作品名:充溢 第一部 第二十二話 作家名: