充溢 第一部 第二十二話
第22話・1/3
私の書いた論文は好評だった。むしろ、センセーショナルとでも言えようか。
内容自体は凡庸だ。特定の成分が人間に滋養を与え、動物実験では彼らの長寿を約束すると言うものだ。
しかし、錬金術の一つの王道――不老不死の研究は、もっと高価なものを求めるばかりであり、言わば選ばれし者の為の研究と言えた。しかし、今回のように、人類全体を底上げ出来ると考えられるものは、極めて異例であった。
これを元に研究するのが一つのブームとなり、論文は何報となく引用された。
そうなると、この薬品も、その原料の草ももの凄い勢いで売れていく。
かつて、ポーシャ達と遊んだあの丘は刈り尽くされて、禿山のような有様らしい。
物が細れば、価値も上がる。そうなってくると、自ら栽培する人も出てくるし、もっと安価な合成方法を考えるようになる。
その草の希少性で美味しい思いをした人間は、途端にその財を失った。
人間は、一度良い生活を覚えると――怠ける事を覚えると、そこから追い出されるのは、殺されるが如き気分となるのだ。すぐに悪いことを考える連中が出てきた。
村の子爵は言い出した『あの草のお陰で研究できるのだから、その成果は我々に還元されるべきだ』と。つまり、『どのように作られようと、我々がその成分の権利を独占できる』と言い出したのだ。
公爵は難色を示したが、子爵は政治的に優秀な人間に取り入ったのか、大評議会では何とか過半を超える票を得て、晴れて、新たな利権が発生してしまった。
これと言って産業のない寒村は、街に人間を供給するための兵站でしかなかったから、こんな事でもしないと、都会の人間に復讐できないのだろう。
スィーナーは少しだけ悲しかった。あの老人の血縁関係にある誰彼も、その構造の中にどっぷりと浸かっている事が。ただ、あの薬の特許で喜んでいる人間の事を考えれば、涙を見せたた分ぐらいは、その権利を認めてやっても良いかなと、心の中で嘲た。
人間の業を避けるように、工房では粛々と仕事を続けていた。
騒動が起こる毎に、仕事は中断していたが、学園の仕事がなくなった事が幸いしてか、納期遅れを出したことはなかった。ただ、その分、自分の研究が犠牲になっていた。
私の関心は、自分の作った薬そのものよりも、それが人形に何の影響を及ぼすかにあった。
確証が持てず、論文に載せていない成分がある。こちらの物質のもたらす作用は、論文の物質に拮抗していたが、さりとて毒にはならない。
考えが正しければ、人形化の解除に、この成分が大きく影響を及ぼしそうだ。
今は、フランチェスカの重液と、出てきた液体の成分を調べているところだ。
これまで、重液についてポーシャは語ろうとしなかった。経験的な解毒剤とだけ言ったが、自分が合成してみて感じたのは、これは解毒剤なんかではなくて、せいぜい栄養を与えて、死なないようにしている程度にとしか考えられないからだ。
作品名:充溢 第一部 第二十二話 作家名: