トラストストーリー
「俺にか?」
遥斗は自分の部屋に尋ねてきたメイドに驚いた顔で聞き返してしまった。
「はい。殿下から作戦の間へ来るように、と」
「・・・分かった。すぐに行くと伝えくれ」
遥斗の返答を聞いたメイドは一礼するとそのまま部屋の扉を閉めて出て行く。
(殿下が俺を作戦の間に?)
遥斗は国の全遊撃部隊の指揮権を預かっている将軍である。それはつまり、戦闘における将軍であり、戦時下ではない今現在、作戦の間へと遥斗が呼ばれる意図が分からなかった。しかし、それでも召集が掛けられれば集まるのが臣下の務め。
遥斗もベッドの横に立てかけていた二本の刀を腰に差し直し、壁に掛けていた外套を引っ掴み、羽織って部屋を出る。だが、部屋の外で思いもよらない人物と会ってしまった。
「柚希?どうしたんだ、こんなところで」
遥斗の部屋の目の前に立っていたのは柚希だった。確かにこの付近は将軍か、あるいは、将軍に近い高位な地位の者たちの部屋ばかりではあるが、この時間帯ならば、近衛騎士筆頭である柚希は椎名という少女の護衛をしておかなければならない筈なのである。
「あ、いや、そのね・・・」
昨晩見たような光景が遥斗の脳裏に甦る。
(昨日は追及しなかったが・・・柚希は何がしたいんだ?)
さすがにこれ以上の時間の浪費は遥斗にとっても柚希にとってもいいことであるはずがない。なにせ、遥斗にも、柚希にも職務があるのだ。
遥斗は確かに武将であり、戦闘に特化しているが、別に戦闘だけが遥斗の取り柄ではなく、外交に関してはこの国の外交大臣にも劣らない実力を持っているため、戦時下以外では外交に関する仕事がやって来るのだ。
それは柚希も同じことで、近衛である以上、常に護衛対象者の傍にいるのが普通なのである。
「何か俺に用があるんじゃないのか?」
先ほどから容量の得ない柚希よりも先に遥斗が尋ねた。
「あっ・・その・・・」
しかし、それでも柚希は口ごもってばかりで話し始めない。さすがにこれ以上、召集に遅れるわけにはいかない。
だが、そこで気が付いた。
「お前は・・・作戦の間に召集を受けてないのか?」
最後まで言い切ってしまったから遥斗は慌てて口を閉じた。だが、すでに最後まで言い切っている時点で意味ない。
遥斗の失言を柚希は聞き逃さなかった。
「え?作戦の間?遥斗は召集を受けたの?」
(・・・隠しきることはできないか)
観念したようにため息をついてから柚希へ向き直る。
「・・・あぁ、そうだ。召集だ。しかも、会議の間じゃなく、作戦の間だ」
「ど、どうして!?作戦の間なんて何かが起こった時じゃないと使用されない筈でしょ!?」
柚希の言う通り、普段の内政、外交に関わる様なことなど大抵のことは王はもちろん、将軍と大臣を含めた者たちが召集され会議の間で話し合いが持たれる。
だが、作戦の間は違う。
作戦の間は緊急事態が発生した際、迅速に対応するため、王と王が召集した人物のみが会議を行うのみで、本来、会議で必要な議決は行われないのだ。
そのため、迅速な対処が可能なのである。
「俺も分かんねー。何が起こったのか、あるいは、何が起こっているのか知らされてないからな。ただ、召集を受けただけだ」
「・・・そう」
「さすがにこれ以上の遅れはマズイ。そろそろ、行くわ」
遥斗はそう言って柚希に背を向け、作戦の間へ向かおうとする。だが、それを止めたのは柚希だった。
「遥斗っ!」
その声に遥斗が足を止める。だが、遥斗が振り向くことはなく、ただじっと柚希に背中を見せたまま動かず、柚希の言葉を待っている。
おそらくは顔を見たままでは話しずらいだろうと思った遥斗の優しさなのかもしれない。
「その・・・ありがとう・・・」
課の鳴くような小さな声だったが、確かに、柚希は感謝の言葉を口にした。
遥斗はそれに応える様に苦笑し、背中を見せたまま軽く片手を振ってその場を離れて行った。
「龍波遥斗です。召集の命を受け、参りました」
遥斗は作戦の間と書かれた巨大な門の前に居る二人の兵士に要件を告げる。兵士の二人は近衛騎士の者なのか身に纏っている甲冑や剣に柚希と同じ色の紋章が描かれている。
「殿下から聞いている。入れ。殿下はすでにお待ちになられている」
兵士の一人がゆっくりと扉を開く。しかし、もう一人はしっかりと遥斗が不審な行動をしないように遥斗から目を離さない。
「どうぞ」
扉が開かれたのはほんの一メートルほど。全開にすれば十メートルほどはありそうな扉だが、遥斗には全開にされなかった。
しかし、中にはしっかりと光があるのが分かる。そして、凄まじいほどの張りつめた空気。
それだけでただ事ではないということが理解できた。
「・・・失礼します」
部屋は王の座する玉座がある謁見の間ほどではないがかなり大きな部屋であることは確かだ。それに加えて部屋の真ん中には巨大な机。机はジオラマの様になっていてこの国や周囲の国などの地形が事細かに再現されている。
「随分と・・・」
机の正面。部屋の一番奥に設置されている椅子に王である葦原宮瑛里華が大きなため息をつきながらゆっくりと閉じていた瞳を開く。
「―――遅かったのですね」
言わずとも分かる。彼女は怒っているのだ。言葉に含まれる感情も凄まじいものがあるが、彼女自身から発せられる威圧感が常人の域を遥かに超えている。
常人であれば腰を抜かしていてもおかしくないだろう。
「・・・色々とありましてね。それでなぜ、作戦の間で?緊急事態ですか?」
しかし、遥斗は物怖じした様子もなく、淡々とここに呼ばれた理由を尋ねた。
「・・・相変わらず、凄いわね、遥斗は」
瑛里華はすっと放っていた威圧感を引っ込め、部屋の空気が元に戻る。
それと同時にパチンと指を鳴らす。すると、部屋の隅々に付けられている蝋燭に火が燈る。
部屋が明るくなったことで今まではまったく気づかなかったが、その部屋には瑛里華と遥斗の二人のほかにもう一人、隅に立っていた。
「愛野さんも召集を?」
「いいえ。僕はただ単に付添ですよ」
「では、私一人、というわけですか?」
遥斗は視線を瑛里華へ戻す。
「そうです。これはあなたへの任務です」
今までにない真剣な口調と眼差しで話す。遥斗はしばらく考える素振りを見せたが、やがてゆっくりと頷いた。
「もし、あなたがこの任務を拒否すれば誰に任せようか、迷っていたのですが、その心配はなくなってよかったです」
「その任務は・・・私でないと駄目なのですか?」
「・・・これを見てください」
瑛里華の視線の先には先ほどの巨大なジオラマ。だが、よく見るとそこにはよく見覚えのある生物を模した模型が一つの都市の上に大量に置いてあった。
異業種であり、かつて高天原と大東亜帝国、ルード皇国の母体となった日本や、世界中の旧文明を滅ぼした魔物の模型だった。
「これの意味することは分かるわよね?」
「・・・まさか、堕ちたのですか?大東亜帝国の誇る城塞都市が?」
痛いほどの静寂が部屋の中を包み込む。十秒、いや、一分、それとも、十分か。それほどの時間が経ったのではないのか、と錯覚させるほどに長い静寂だった。
その静寂を破ったのは瑛里華の静かな頷き。