トラストストーリー
志穂はどこか遠い目をしながらゆっくりとグラスを傾ける。志穂の言うちびっ子とは、椎名のことで、本来、敬うべき主君の娘である椎名にもそれなりの言葉遣いをするのが普通なのだが、志穂は昔からよく椎名の世話をしていたためか、どうしてもそういった呼び方をしてしまうのだ。もちろん、それを椎名も許しているので特に問題にはならないようだが。
「ちびっ子は随分と張り切っていたのにな。やっと待ち望んだ晴れ舞台を命の恩人に見せられるってな」
「・・・」
「お前も気付いとるとは思うが・・・ちびっ子はお前のことを好いているだぞ?」
「・・・でしょうね。見ていれば分かりますよ・・・」
遥斗は酒に口を付けるわけでもなく、つまみに手を伸ばすわけでもなく、ただじっと虚空を見つめていた。
「・・・お前の答えがどうであれ・・・答えてやる気はないのか?」
「・・・身分が違いすぎますよ」
答えはすでに出ていた。遥斗はその答えを考える以前にすでに答えは出ていたのだ。初めから。―――――身分が違う。それははっきりとした拒絶。
どうしようもない大きな壁だ。国の重役に就くことが約束されている椎名と戦争がなくなれば用済みも同然の将軍。
外交が多少得意だからと言って本職の前ではゴミ同然。本職がいるのならゴミは捨てられる運命にあるのだ。
では、遥斗は戦争がなくなればどうなるのか。答えは簡単だ。
用のなくなった物は捨てるだけ。それが例え、将軍であっても、だ。将軍とは確かに戦争時では存在を示し、相手に畏怖を与え、尊敬を集める人物である。
しかし、それは戦争時であって、戦争がなくなれば将軍の力は恐怖の対象でしかない。
そんな恐怖の対象を国の手元に置いておくわけにはいかないのだ。
故に捨てられる。故に遥斗が例え、椎名の気持ちに答えたいと思っていてもそれは無理な話なのだ。
最初から最大の壁が目の前にあるのだから。
「・・・分かっておるとは思うが今日を逃せば、ちびっ子はグラン・ノーヴァへ行くことになるのだぞ?あるいは・・・私たちが生きているうちはもう二度と会えないこともある」
グラン・ノーヴァ。それは海を渡った先にある永久中立国、ノルバード中立国という国にある十二歳から十八歳を対象とした全寮制の学園である。
永久中立国にあるためどの国からも侵攻されることはなく、さらには貿易上とてもいい立地にあるため、多くの国の王族や貴族、皇族の息子、娘が通っているのだ。
この王都に瑛里華の娘の長女と次女がいないのは瑛里華が戦争に巻き込まれないためにと、その学園へ通わせているためである。
そして、椎名もついにその学園へ通うこととなった。ここ二、三日でこの王都を出て海を渡り、ノルバード中立国へ出向くことになっている。
もちろん、全寮制ということや、自分たちの祖国が戦争状態、あるいは、休戦状態と危険な場合もあるため、長期休暇も帰ってこない子どもたちが多い。
それはつまり、最低でも七年間は会えなくなる、ということだ。
「ちょうどいいじゃないんですかね。向こうで俺よりもいい人を見つけてくれればそれで万々歳。向こうの学園ならほとんど生徒が貴族や王族たちでしょうからね」
「・・・そうか・・・。まぁ、お前の人生だ。好きに決めるといい。しかし、お前、唯様や愛美様の時も遠征に行っていただろ?その時のお二方も悲しい顔をしておられたぞ」
「そうだったか?」
「そうだ。お前はお姫様三人を助けたのに当たり前のことと言って礼の言葉すら受け入れなかったとか。存外、冷たいの。あるいは狙ってるのか?」
「そうでしょかね?俺は・・・普通ですよ」
遥斗は呟きながら目の前に置かれている酒の入ったグラスに口を付ける。のど越しのすっきりしたノンアルコールの酒はすっと遥斗の胃の中へ落ちていく。
「・・・仕方ない・・・か。・・・おっ!そうか、いいことを思いついたぞ、遥斗!」
持っていたグラスを机に叩きつける如く激しく置き、机から乗り出して叫ぶ。
「・・・顔が近いです、志穂さん」
「おぉ!すまん、すまん」
注意されて気が付いたのか、照れくさそうに頭を掻きながら元の位置へと戻る。
「それで、だ、遥斗。いい案というのは、お前がグラン・ノーヴァへ行けばすべて万事解決だ!」
「・・・・・・・はぁ?」
「な~に、転入でも編入でも留学でも理由はなんでもいい。とにかくお前は頭も切れるし、武術や剣術に関しては言うことなしじゃないか!きっと学園でもトップクラスに入れるぞ!」
我ながらいい案を思いついた、と言わんばかりに腕を組んで満足げに頷いている。
「あのですね・・・志穂さん。学園生のほとんどは王族や貴族の人たちですよ?プライドの高さは折り紙つきです。そんな人たちを差し置いてどこの馬の骨とも知らない俺がトップクラスに入ったら敵視や反感を買いますよ」
遥斗がため息をつきながら答える。志穂は中々、頭の切れる優秀な将軍なのだが、時々、突拍子な考えを言うのでよくみんなを困らせることがあるのだ。
そういう突拍子な考えがあるからこそ、護りに長けた戦いをすることができるのかもしれないが。
「ははは。トップクラスに入れることは否定しないんだな。まぁ、そこが遥斗らしいのかもしれんな」
「さて、ね。どうでしょうか?」
「ふむ。煙に巻くのが好きなようだな・・・まぁその煙に巻かれてみるという一興かもしれん」
二人は互いに笑い合い、酒を飲みかわす。辺りには空になった酒の空き瓶がいつの間にか山のように積み重ねられている。
おそらくは先客の男たちが飲んでいる酒の量と同じくらいは飲んでいるだろう。向こうは数十人でこちらは二人という人数差など志穂には関係ない。
「ぷはぁー。やっぱり酒は美味いな!」
遥斗はノンアルコールなので酔わないのは分かるが、志穂は普通の酒である。普通の酒であるにもかかわらず志穂は一向に酔った様子もなく酒とおつまみを注文し続ける。
気が付けば、二人よりも先に来ていた男たちはいつの間にか店の中から消えてしまった。時間はそろそろ夕方。おそらくは祭りのためにいい席の確保にでも向かったのかもしれない。
「そういえば・・・志穂さんが城下町に顔を出すなんて珍しいですよね」
志穂はこの王都にいなかった、というのもあるのだろうが、例え、この王都にいたとしてもあまり城下町に顔を出すことはない。
大抵、城の中で緊急事態が起こってもすぐに対応できるように待機しているからだ。しかし、今日は珍しく、城下町に顔を出していた。
「ん?・・・あぁ、そうだな・・・。お前がこの王都を出るということは、今、この王都の警備や守衛をしているお前の遊撃部隊から私が指揮権を持っている部隊に交代させねばならないからな。引き継ぎなど交代時にはどうしても隙が出来る。それを埋めるためだ」
「え!引き継ぎは今日でしたっけ!?」
弾かれた様に椅子から立ち上がり驚いたように声を上げる。
「・・・まさか、遥斗。お前、忘れてたのか?」
「・・・すっかり」
声を落とす遥斗に対して志穂は落胆を隠さずに大きなため息をついた。