充溢 第一部 第二十話
第20話・6/9
「流石、儂が見初めた娘、褒めて遣わすぞ」
事態の周知は翌朝には落ち着いていた。分かっていたけどさ……
ミランダは男装ネリッサ――シザーリオではない――を所望した。ネリッサは女性と付き合うことを拒絶したが、説き伏せて一度だけの約束を飲ませた。
ミランダの頭の中では、一度のデートで奇跡をキメられるらしい。
無邪気に喜ぶポーシャが眩しい。
隠れる必要はないので、すぐ後ろに位置づける。恨めしく振り向くネリッサ。
「私たち空気なので、気にしないで下さい」
「儂が願うには、"ちょっとした"ハプニングとかあると嬉しいな」
随分とやかましい空気もあったものだ。
ネリッサの言葉がぎこちない。ミランダは、男性っぽさの中に、わずかに女らしさを残して欲しいと要求する。
難しい注文に困るネリッサ。その愛らしさを見て、よく分かっていらっしゃると、二人して頷く。
ネリッサとマクシミリアンのデートは見ていて苛立つばかりだが、それがネリッサの受けとなると途端に逆転する。これは愉快千万。
ちらちらとこちらを見る目は、子ヤギのようにか細く震え、愛おしい。
寄り添って散歩し、買い物をし、食事をする。周囲は彼が女である事を知るまい。
世界全体に対して、大胆に偽り、堂々と自分の欲望を満たしていく。ああ、ミランダはそうやってネリッサを獲得し、支配するのだ。
今日をプロデュースした自分の立場は何だろう。一陣のむなしさが胸の隙間を駆け抜けた。
この素晴らしきカップルに近づくのは不審な影。
「君! 君にはスィーナーさんと言う人がいるだろ!
何をやっているんだ、私は断じて認めんぞ!」
中央に噴水のある、大きな広場の中心。周囲には露天が並び、賑やかだ。
大音声の誉れ高きフェルディナンドの声は、喧騒を吹き払い皆を振り向かせた。
後方で嘆く二人。ネリッサが泣き出すまでいよいよ秒読み段階となった。
ミランダは食って掛かる。自分こそが正当な彼女だと言い張るばかりで、状況の説明はしない――しないのが正解だが。
フェルディナンドとミランダの"神秘的"な出逢いは、確実に彼らの視野を奪っていった。
ああ、この人は、私たちなんて目に入ってないんだな……騎士としてどうだろう。
ポーシャはそれでも満足の体をしているし、ネリッサは彼らの世界に入れないでいた。
ええいままよと、飛び出す。
「騎士団長様!
私、実は妹なんです!」
男の動きは止まり、怒鳴り声は止んだ。
「お、お兄ちゃんを盗られるのが怖くて……」
我ながら名演技である。しかし、そんな妹、実際にいたら怖い。
フェルディナンドは、アイギスを奮わすゼウスの如き恐ろしい形相でネリッサを睨み付ける。
泣き出しそうなネリッサは、挙動を一層不安定にさせた。
勢いは、恥ずかしいと言う気持ちを先行していたので、どんな人物でも演じられそうな気がしてきた。
「お兄ちゃんは、私のものだった!
だった……けど……ミランダさんは素敵な人よ……だから……」
胸に手を当て、上目遣い――シーリアを参考にしてやってやった。どうだ。
『まぁ!』ミランダが叫ぶ。フェルディナンドの方を向いていたはずなのに、気が付けば彼女の胸の中にいた。
押し当ててくる。クソ、柔らかくて大きいじゃねぇか。
これは演技ではないな。脳みその中は、常に上書き専用となっているんだ。この女は。
「ひとまず……君と話をする必要があるようだな」
救出――にしては暴力的だが、フェルディナンドの手によって、屈辱地獄から抜け出せた。
作品名:充溢 第一部 第二十話 作家名: