充溢 第一部 第二十話
第20話・4/9
工房でガラス器具を組み立てているとき、それは雷の如く閃いた。
そうだ、自分の兄という事にしておこう。あまりにも女の人に言い寄られるから、こうやって偽装しているのだと。
考えつくと、入り組んだパズルが一気に解けた気がした――力技でバラしてやったようなものだけど。
兎に角、上手い作戦だと思い込む事にした。テンションが上がっている自分に気づいているが、どうせ自分の事ではない。気軽にやって、上手く行かなければ涙目になったネリッサを愛玩し、慰めてやろう。
何にしても、ネリッサを説得させなければならない。なるべく美味しい夕飯を用意しよう。
清々しい空の下、楽しい買い物に出かける。
気が浮かれているので、店員の冷やかしにも何も感じない。傍から見れば、今日が何かの記念日なんだろうと想像するだろう――独身の人間が、そうでないように偽装するのは、案外簡単なのかも知れない――自分を載せられさえすれば。
自分を誤魔化して、幸せな顔をしていると言うのも悪いものではない――死ぬまでそれに気付かなければ。その点で言えば、この多幸感は極めて危ない尾根を渡っているようであった。
広場を抜けて、大通りに入ったところで、私を呼ぶ声がする。
聞いたことがあるが、聞き慣れない声……
「ミランダさん?」
雑踏の中、目を見合わせる二人だけが静止していた。
活動的で怖いものなしに見えていたミランダが、今日は酷く怯えているように見えた。
周囲の評判もあるから、以前からの見方は間違いではないだろう――それと照らし合わせると、彼女はここ数日ですっかり変わってしまった。そもそも、ストーキングなんてする性格でなかったろうに、どうしてこうなったのか?
「ご夕飯ですか? 幸せそうですね……」
スィーナーは恐怖した。言葉に張りがない。彼女は何か思い詰めている。これはいつ刺されてもおかしくない!
必死で否定しようとする。心は硬直し始めていると言うのに、無意識にのろけ口調になってしまう。かなり拙い状況だ。
「その……ご相談したい事があるのですが……こんな所で話すのも……私の家では如何ですか?」
これは拉致監禁される。頭の中で警鐘が鳴り響いている。なんだろう、デジャヴか? あの鐘楼の鐘か?
「ち、近くなので、私の工房でどうでしょう?」
言った瞬間ぬかったと気付いた。描かれたヴィジョンは、明朝、自分の工房に転がっている一体乃至二体の骸……
作品名:充溢 第一部 第二十話 作家名: