充溢 第一部 第十八話
第18話・4/8
噂は瞬く間に広まった。初めは『女ぐらい細い男を選んだ騎士団長の頭の悪さ』について、次に『問題の男の腕っ節は滅法強いと言うこと』そして、『男は、マグナウラの外れに暮らす貧乏な錬金術師と、ねんごろな間柄だ』と言うことだ。
最後の部分については、酷い誤算だった。痴話喧嘩を演じたあのカフェの店主が、有ること無いこと言いふらしたのが真相なのだが、この言い訳を信じる事は出来ない。この状況を見て喜ぶのは一人だけだ。
何にしても、不機嫌ではあった。
「ネリッサさん、あんまり工房に近寄らないでもらえます?
少なくとも、今の格好で」
シザーリオが華奢な腰つきで立っている。屋敷で酷いことを言われたのだろう。行き場を失い、私の所へ泣きついてきたのだ。
聞くと、屋敷では男装以外許されず、男言葉でないと怒られる。つまり、『ずっとそのままでいろ』と命令されたようなものであった。
涙目の"シザーリオ"が可愛くて仕方がない。これは相当にいじめてやらないと。
いつからこの工房がパニック・ルームになったのかと追い立て、あの噂について問い詰める。
向き直した表情は、シザーリオの顔としてもネリッサの顔としても、想像の付かない程間抜けだった。知らなかったのか……
自分がどれほど街で屋敷でからかわれたかを、これ以上ないクドさで説明した。きょとんとしていた顔が青ざめるのが分かる。
そうして、もう一度突き放した。
勝ったつもりになった――ネリッサは蒼白な顔で考えて考えている。そして、ある瞬間から血の気が蘇ってきた。
「いいじゃないですか! それで行きましょう」
開き直ったネリッサの顔が怖かった。私が反対すれば、『余程の理由』になるのではないかと言うのだ。
何か極めて悪い状況に引きずり込まれる音を聞いた。
渾身の力で拒否した――散々揉めた後、ネリッサは退散したようだ。茶の一杯でも出せば良かったと後悔した。
作品名:充溢 第一部 第十八話 作家名: