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充溢 第一部 第十六話

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第16話・3/4


 厳粛な顔をして、公爵は宣誓する。
「それでは、アントーニオ、覚悟するんだな」
 公爵の口元が笑っているように見える。アントーニオとしては、これ以上の諦めを迫る演出はあるまい。

 一方、傍聴席は湧いた。皆が一人の男の死を望んでいる。積極的な敵意を持たず、しかしそれでも、生存権を奪ってしまうことに諸手を挙げて喜ぶ。恐ろしい事だ。
 群衆の感情とは、積極的に皆の意見に集合するのだろうか? それとも、自然に集合したものが群衆の感情となるのだろうか? 間違いないことは、それぞれの個人はその同調も、誘導も認識できず、自然に自分の考えを、固有の考えを持っていると信じ込んでいることだ。

「これより本契約の履行を行う。
 イアーゴー。では、好きに切り取ると良い。しかし――それ以外、例えば血をひとしずくでも多く奪ってはならぬぞ」
 大きな声で演説する。誰も聞き漏らさぬように。全ての人間が証人となるように。
 イアーゴーは、当然という顔から、周囲の醸し出す空気から言葉の意味を徐々に下していった。当然と信じていた足下が崩れ落ち、立っていられないという体で狼狽える。
「公爵様ご冗談を。それでは、どうやって切り取るというのですか? 金貨と何かを交換するとき、そこに残る手垢まで算定する人が何処にいましょう?」
 勝ち誇ったような笑いを込めて、公爵はのしかかる。
「そのような事、私の知ることか? お前が契約したのは、それが出来るからそのように取り交わしたのだろう。
 垢がどうしても必要なら、お互いにそれを拭き取れば良いだけだ」
 公爵の表情が、次第にはっきりしてくる。
「そんな無茶な話は御座いませんよ」
 押し返すイアーゴーに力はない。
 公爵は毅然とし、立ち上がり強く迫る。
「どちらが無茶を言っている。さぁ、履行を」


「喜んでるな、公爵の奴」
 ポーシャは、嘲笑の鼻息と共に吐き捨てた。
「誰が悪人か分からないですね」
 気持ちはポーシャと同じだった。
「儂らも同じだがな。
 しかし、たかだか1ポンドなら殺さずとも抜けるんだがな。肝臓とか、腎臓とか」
 ぞっとしない話題だ。そんな実験は、何処かのサイコパスな医者が地下室で人知れず行うような事だ。
 物騒……否、不気味な響きだ。人間の臓物がお金になるなんて、あまり想像したくないものだ。
 文句を言うと、ポーシャは開き直って言う。
「人間は、時としてとんでもない方法で生き残るものだからな。人の臓器を食ってでも生きる奴もいるかも知れない。
 自らの命を切り売りする人間も出てくるかもしれない」
 どんな未来を思い描いているのか。得々と語っている。やはり、不快な未来だ。健康の為に平気で人を殺し、殺した相手の肉体で平然と生き長らえることになるのだから。
「嫌な言い方しますね。それが可能なら、善意でそれを分ける事ぐらい考えません?」
「お前にしては殊勝だな」
 ポーシャは意外なことに気付いたような顔を作る。心外な表情だ。
「酷いです」
 ポーシャはしみじみと、イアーゴーを見つめながら、世の無常を紡ぎ出す。
「人類の科学の進歩が、人間の精神の進歩を常に連れ立ってくれれば良いのだがな」
 同じく眺めながら、『それは考えにくい』と言った。正義は進歩よりも方向音痴だ。
 ポーシャはこちらの表情を覗い、笑いを振りまく。
「やっぱりお前だな」
 酷いことを言う人だ。仕方なく微笑み返した。


 イアーゴーは一層小さくなる。
「そんな馬鹿な……無茶苦茶な……」
 徐々に弱々しくなる声。かすれていく声。
「私も鬼ではないのでな、先の言葉を撤回するなら今だぞ」
 イアーゴーはその場でくずおれた。
 公爵は、仁王立ちで満足の笑みを浮かべた。

 決着がついた。アントーニオはまだ飲み込めず、呆然としている。
 兵士は既に手を放しているというのに、後ろ手にしたまま、ボロ雑巾が自立している。
作品名:充溢 第一部 第十六話 作家名: